伊藤詩織事件21

伊藤詩織事件の21回目です。

何回も書いていますが、私は山口敬之とは面識はありません。当然ですが山口敬之を擁護するために、このようなブログを書いているわけではありません。

伊藤詩織の書いた「ブラックボックス」という本の読書感想文を書いているにすぎません。

今回も同書の不可解・・・

というよりは伊藤詩織マジックについて書いています。

帰国時の状況に関して不可解な記述があります

39、40、41、42頁(文庫43、44、45、46頁)

 帰国してロイターで働く

インターンシップと学業で、さすがにバイトをする時間もなくなってしまった。また、それまでパートナーと二人で暮らしていたアパートを離れ、何人かでシェアできるアパートを新しく見つけたが、ニューヨークでの一人暮らしは、今まで以上にコストがかかった。

これまで何とか自分で賄ってきた学生生活だったが、ここで両親に送金を頼むことになってしまった。そこで私の困窮は、両親の知るところとなった。両親はびっくりし、すぐに帰国するようにという命令が下った。

仕方がない。我を通すすべはなかった。一度帰国して、もう一度何とか出口を見つける努力をしようと心に決め、私は日本に帰った。

翌年の二月から、私はロイター通信の日本支社、トムソン・ロイター・ジャパンとインターン契約を結んで働き始めた。仕事や仲間から学ぶことは多かったが、フルタイムの労働で無給であったため、サイドワークは必須であった。

(中略)

いっそフリーになった方がいいかもしれない。そう考え始めたところで、フルタイムのインターンを終え、継続して日当のもらえる契約を、シンガポールにあるロイターのアジア本社と結んだ。今後は自分の納得のゆく仕事をしながら道を切り拓いていこうと決心し、完全なフリーランスになると心に決め、久しぶりに実家へ戻った。

実家で私を待っていたのは、両親の大反対だった。インターンだけでは生活することができなかった私は、翻訳や通訳などのアルバイトも同時にしていた。日当は出るようになっていたが、やはり生活は厳しく、今後もアルバイトは続けなければならない。寝る時間も削って働く私の体を、両親は心配した。英語と日本語ができるからとの、外資系企業からの正社員契約の誘いを、何度か私が断っていることを両親は知っていた。

「せめて二年間、会社勤めをしなさい。フリーになるなら、それからでも間に合う」

いつになく強い両親の説得に、私の心は揺れた。長女でありながら、これまで自分のしたいようにさせてもらってきた。すでに社会人となった今、両親に仕送りもできず、ニューヨーク生活で最後に借りてしまったお金も返せていなかった。申し訳ない気持ちもあった。それに、両親の言うことにも一理あるかもしれない。

だからと言って、自分の向かいたい方向とは違う分野の企業に行くことは考えていなかった。それに、一般的な就職活動が始まるのはまだ先で、いずれも狭き門であった。

両親を安心させ、しかもなるべく早く自分にあった環境で仕事をするには、どうすれば良いだろう。考えた私は、アメリカの大学を卒業した後、日テレのニューヨーク支局で現地採用された女の子がいたことを思い出した。

現地採用ならば、道はあるかもしれない。

日テレの現地採用枠は、その女の子が決まった時点でしばらく埋まっている。TBSのニューヨーク支局も募集はないと聞いた。

そこで思い出したのが、山口氏の「TBSのワシントン支局であれば、いつでもインターンにおいでよ」という言葉だった。もう一度インターンで仕事をさせてもらい、そこから現地採用を目指してみようと、私は考えた。

履歴書とビザ

私は、最後に連絡を取ってから半年ぶりに、山口氏にメールを送った。二〇一五年三月二十五日のことだった。

少々引用が長くなってしまいましたが、この記述があります。伊藤詩織は経済的に苦しくなりニューヨークでの生活を終え帰国したことになっています。39頁(文庫43頁)

すぐに帰国するようにという命令が下った。

この記述がありますが、これが事実であれば大学はどうしたのでしょうか?

卒業しないで帰国したことになります。

この本ではニューヨークの大学を卒業したとは書かれていません。

中退して帰国したのか?

卒業して帰国したのか?

39頁(文庫43頁)

 これまで何とか自分で賄ってきた学生生活だったが

この記述があります。

つまり経済的困窮が両親の知ることとなり、帰国せざるを得なくなった時点で伊藤詩織は学生であったと書いているのです。同時に伊藤詩織はニューヨークの大学で勉強していたことを、この本で書いています。

当然ですが大学を

中退して帰国したのか?

卒業して帰国したのか?

これについて書いていません。

どちらにせよ、大学をどのような形で終えたのかは書く必要があると考えます。

ただ「伊藤詩織事件18」を読めば理解できますがイタリアのフィレンツェからニューヨークに帰った伊藤詩織の卒業予定は二〇一四年一二月以降になるのですが?

さらに、経済的に苦しくなってニューヨークでの生活を終えているにもかかわらず、東京で独り暮しを始めています。

重要なことですが伊藤詩織は経済的に苦しくお金がない状態で、さらに無給のインターンの身分です。これでどうやって東京で一人暮らしができるのでしょうか?

これは以前のブログで書いたことですが伊藤詩織は経済的問題起こっても必ずどこからかお金が溢れ出てきて経済的問題を解決しています。

これも伊藤詩織マジックでしょう!

一人暮らしの資金は?

伊藤詩織はお金が無く帰国しているのです

40頁(文庫44頁)

今後は自分の納得のゆく仕事をしながら道を切り拓いていこうと決心し、完全なフリーランスになると心に決め、久しぶりに実家へ戻った。

実家で私を待っていたのは、両親の大反対だった。

この記述で一人暮らしをしていたことが証明されます。

さらにトムソン・ロイター・ジャパンの事務所は東京都港区です。この事務所に通勤しなければならないのです。当然一人暮らしをする部屋は東京都内か、その近郊に限られます。

しかもインターンで無給です。インターンで働くことは本人の自由なのでかまいません。

それでは東京で一人暮らしをする生活費は一体どこから出ていたのでしょうか?

この疑問が発生します。

東京での一人暮らしをフルタイムのインターンをしながらのアルバイト収入で生活は可能なのでしょうか?

この箇所にはまだ疑問があります。

40頁(文庫44頁)

 翌年の二月から、私はロイター通信の日本支社、トムソン・ロイター・ジャパンとインターン契約を結んで働き始めた。仕事や仲間から学ぶことは多かったが、フルタイムの労働で無給であったため、サイドワークは必須であった。

トムソン・ロイター・ジャパンではインターンで働き始めた時は無給であったと書かれています。

40頁(文庫44頁)

 実家で私を待っていたのは、両親の大反対だった。インターンだけでは生活することができなかった私は、翻訳や通訳などのアルバイトも同時にしていた。日当は出るようになっていたが、やはり生活は厳しく、今後もアルバイトは続けなければならない。

この記述があります。

要するにトムソン・ロイター・ジャパンではインターンとして働いている時期に金額は不明ですが日当が支給されるようになっているのです。

そうであれば支給される日当の金額分アルバイトを減らすことが可能なのです。

40頁(文庫44頁)

日当は出るようになっていたが、やはり生活は厳しく、今後もアルバイトは続けなければならない。

この記述があります。

トムソン・ロイター・ジャパンで日当が出るようになったにも関わらず

やはり生活は厳しく

と書いています。

そうであれば日当が出る以前、どうやって生活費を捻出していたのでしょうか?

伊藤詩織は39頁(文庫43頁)で経済的に苦しくなって帰国したと書いています。

しかも帰国後、実家に帰ったわけではなく東京で一人暮らしを始めていると「ブラックボックス」に書いているのです。

つまりこの部分の記述には確実に創作が含まれています。

何故両親に反対されるのでしょうか?

ロイターのアジア本社と契約を結んだのであれば反対する理由がありまあせん

40頁(文庫44頁)

 いっそフリーになった方がいいかもしれない。そう考え始めたところで、フルタイムのインターンを終え、継続して日当のもらえる契約を、シンガポールにあるロイターのアジア本社と結んだ。今後は自分の納得のゆく仕事をしながら道を切り拓いていこうと決心し、完全なフリーランスになると心に決め、久しぶりに実家へ戻った。

この記述があります。

この記述では伊藤詩織は報道機関への就職を諦めフリーのジャーナリストを目指すと書いています。

この部分の記述がどう読んでもおかしいのです。

まず40頁(文庫44頁)

継続して日当のもらえる契約を、シンガポールにあるロイターのアジア本社と結んだ。

これが事実であればジャーナリストとして活動をして自立して生活できることになります。

そうであれば何故、伊藤詩織は山口敬之に就職の相談をしたのでしょうか?

さらに下記の記述があります。

40頁(文庫44頁)

 実家で私を待っていたのは、両親の大反対だった。インターンだけでは生活することができなかった私は、翻訳や通訳などのアルバイトも同時にしていた。日当は出るようになっていたが、やはり生活は厳しく、今後もアルバイトは続けなければならない。

40頁(文庫44頁)

継続して日当のもらえる契約を、シンガポールにあるロイターのアジア本社と結んだ。

実家に帰り両親と相談した時点でインターンではなく収入のある契約になっているのです。

そうであれば実家で反対される理由がありません。

お金のない伊藤詩織にはインターンはできません

41、42頁(文庫45、46頁)

 両親を安心させ、しかもなるべく早く自分にあった環境で仕事をするには、どうすれば良いだろう。考えた私は、アメリカの大学を卒業した後、日テレのニューヨーク支局で現地採用された女の子がいたことを思い出した。

現地採用ならば、道はあるかもしれない。

日テレの現地採用枠は、その女の子が決まった時点でしばらく埋まっている。TBSのニューヨーク支局も募集はないと聞いた。

そこで思い出したのが、山口氏の「TBSのワシントン支局であれば、いつでもインターンにおいでよ」という言葉だった。もう一度インターンで仕事をさせてもらい、そこから現地採用を目指してみようと、私は考えた。

この記述にも大きな問題があります。

伊藤詩織はお金がなくニューヨークの生活を切り上げて帰国してインターンとして働いているのです。

さらに、東京での生活が苦しい状況が書かれています。

要するにお金がないのです。

この、お金がない状況にも関わらず再びアメリカに生活拠点を移して、しかもインターンで

働こうとしているのです。

インターンですから当然無給です。

この時の伊藤詩織の経済状況では41、42頁(文庫45、46頁)

 そこで思い出したのが、山口氏の「TBSのワシントン支局であれば、いつでもインターンにおいでよ」という言葉だった。もう一度インターンで仕事をさせてもらい、そこから現地採用を目指してみようと、私は考えた。

伊藤詩織はこのような発想ができる経済状況にはありません。

お金がないのですから再び渡米して生活することは不可能です。

「ブラックボックス」のこの部分の記述では経済的事情の説明がどう考えても破綻しています。

伊藤詩織マジック全開といったところでしょうか?

つまり創作が含まれているのです。

何故今まで以上にコストがかかるのか?

ついでですので再度39頁(文庫43頁)

また、それまでパートナーと二人で暮らしていたアパートを離れ、何人かでシェアできるアパートを新しく見つけたが、ニューヨークでの一人暮らしは、今まで以上にコストがかかった。

この記述では2人で部屋を借りていたのが3人以上で借りるようになっています。

そうであればコストは下がります。

今まで以上にコストがかかった。

何故このような記述になるのでしょうか?

これも伊藤詩織マジックでしょう!

少々長くなってしまいました。

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

この部分は重要なので

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件22へ続く

伊藤詩織事件20に戻る

伊藤詩織事件1に戻る

下記リンクで伊藤詩織事件を全て表示できるようにしています。