両国暴動

かつて昭和の時代のプロレス、それも新日本プロレスには暴動がつきものでした。

現在の新日本プロレスからは想像もできないことですが、当時のプロレスファンはプロレスを娯楽としてではなくある種の宗教、または人生の一部として捉えていた部分があります。

その中心がアントニオ猪木であることは年配のプロレスファンであれば誰でも知っていることです。

昭和の新日本プロレスでは3回暴動が起きています。

1984年6月14日   蔵前国技館

1987年3月26日   大阪城ホール

1987年12月27日 両国国技館

今回は1987年12月27日に両国国技館いついて書こうと思います。

この日のカードは

メインイベントがアントニオ猪木vs長州力

セミファイナルが藤波辰巳、木村健吾vsマサ斎藤、ビッグバン・ベイダー

この前の試合がIWGP Jrヘビー選手権 小林邦昭vs馳浩

この日の最大の目玉は全日本プロレスから帰ってきた長州力とアントニオ猪木の一騎打ちでした。

その次がこの日が日本デビュー戦のビッグバン・ベイダーです。

小林邦昭vs馳浩に関してはファンはしらけてました。馳浩はこの日が日本デビュー戦です。(海外では既にデビューしている)「どうせ馳をチャンピオンにするんでしょ!」馳浩がプロレスラーとして優れていても日本ではまだ1試合もやっていないのです。そんな選手をチャンピオンにしてもファンは納得しません。

さらに言えばこのようなデビュー戦をした関係で馳浩はこの後伸び悩みます。

これだけの才能のある選手をどうしてこのような扱いをしたのか?

ノンタイトル戦でデビューをさせて実績を積んでからタイトルを獲れせればいいのに?

当時、私はこのように疑問に感じていました。

この試合はカードの発表と同時にファンの間では大顰蹙を買っていたのです!

予想通り馳の勝利で試合が終わり、この時点でファンのフラストレーションは溜まっていたのです。

ところがこの後それに火に油を注ぐような大事件が起こったのです。

ビートたけし&たけし軍団の登場です。

ビッグバン・ベイダーはビートたけしが設立したタケシプロレス軍団、TPGの送り込んだ刺客という設定でした。これはビートたけしの協力で話題を作ることが目的です。ビートたけし&たけし軍団がリングに上がったところで場内からは「帰れコール」が起こります。

この年のことですがテレビ朝日はプロレス中継番組「ワールドプロレスリング」の視聴率低下に思い切ったテコ入れをします。

山田邦子を司会者にして多数の芸能人を出演させスタジオと会場から中継する「ギブアップまで待てない!!ワールドプロレスリング」とタイトルを変更するテコ入れを行なったのです。

これにプロレスファンが大反発、第1回の放送終了後はもちろん翌日も抗議の電話が鳴りっぱなしの状態になったそうです。これは業務に支障が出るレベルだったそうです。

プロレス中継のテコ入れのために芸能人を起用したことでプロレスファンが大反発したこの番組は半年で終了して元の番組に戻されました。

このタケシプロレス軍団はビートたけしが東京スポーツを通じてアントニオ猪木と話をして決まったことだそうです。

プロレスに協力していただけるのありがたいのですが時期が悪すぎました。

この時リングに上がっていただいたビートたけし&たけし軍団の方々に悪いことをしたなと今では考えています。

ただ、この日の最大の問題はこれではありませんでした。

上記したようにビートたけし&たけし軍団がリングに上がり、これにマサ斎藤が呼応するようにしてビッグバン・ベイダーとアントニオ猪木のシングルマッチを要求したのです。

それも、今日このリングで。

当然ですがお客さんがこれに大ブーイング!

それも並大抵のブーイングではありません。

リング上には物が投げ込まれる始末です。

しかも当時にことですから中身の入った瓶まで投げ込まれたそうです。

それにもかかわらず急遽カードの変更を強行。

セミファナルの藤波辰巳、木村健吾vsマサ斎藤、ビッグバン・ベイダーvsマサ斎藤、長州力になりました。この試合の後、急遽アントニオ猪木VS長州力が行われ。その後アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダーが行われたのです。これにはお客さんから物が投げられる状況で行われたのです。さらに「やめろコール」まで起こりました。

このような異常な状況の中でこの3試合は行われました。

この日の最大のカードはアントニオ猪木vs長州力です。

お客さんも、この試合を目的でチケットを買っているのです。

ところがこのような事態になりお客さんが激怒!

暴動が起こります!

この時の暴動では国技館の被害額は200万円を超えています。さらにこの事件が原因で新日本プロレスは両国国技館を1年2ヶ月使用禁止になっています。

この事件に関しては最初からカードを変更すことが事前に決まっていました。

これは「新日本プロレス10大事件の真相」という本で当時レフリーでマッチメイカーを務めていたミスター高橋が真相を語っています。

ただ同書では当時リングアナウンサーを務めていた田中秀和がこれを否定する意見を語っています。

これは私の推測ですが、この計画は新日本プロレス内でも一部の人間が極秘裏に進めたのではないでしょうか?

カード発表でメインを任せれていた長州力ですがメインイベントでシングルマッチをするのとセミファイナルでタッグマッチをするのでは気持ちの入り方が全然違います。

プロレスはシナリオがあり事前に結末が決まっているものです。これは現在では公表されプロレスファンも納得してプロレスを見ています。

ところが、この当時はそうではありませんでした。

ただ、上記していますがメインイベントのシングルマッチとセミファイナルのタッグマッチでは気持ちの入り方が全然違います。

これを考えた場合、長州力には事前にカード変更をすることは伝わっていたのではないでしょうか?

今となっては事実は闇の中になります。

ただ、この日は全日本プロレスから新日本プロレスのマットに帰ってきた長州力とアントニオ猪木のシングルマッチがメインイベントでカードの発表がされていてお客さんはこの試合を目的にチケット買っているのです。

当然ですが

ふざけるな(怒!)

結局、上記していますが

藤波辰巳、木村謙吾vsマサ斎藤、長州力

アントニオ猪木vs長州力

アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー

この3試合を強行して終わりました。

これにファンが大激怒、暴動が起こったのです。もちろん警察も出動する事態に発展します。

この時は幸いなことに?

火をつけて消防署が出動する事態には発展していません。

私はテレビで見ていたのですが会場にいれば暴動に参加していた可能性は大です!

このカード変更のストーリーを描いたのはアントニオ猪木ですが、この当時のアントニオ猪木は衰えが隠せず「アントニオ猪木のプロレス」ができなくなっていた時期です。

もしかしたら、その焦りからこのようなことをしたのかもしれません。

上記していますがこの事件の真相は闇の中です!

ただ、これが昭和の時代のプロレスであったことは紛れもない事実です。