1981年4月にタイガーマスクになった佐山聡は何故かその後の同年5月に1週間だけメキシコに行っています。これはマスクを作るために行ったとする説が強かっのですが(メキシコには優秀なマスク職人がいるため)現在ではそうではなかったことが近年判明しています。
これは、その後「虎ハンター」としてタイガーマスクのライバルになる小林邦明が証言しています。
さらにマスクを作るのであればフィッティングの確認をしなければならないため1週間でマスクを作るのは不可能なのだそうです。
佐山聡はメキシコを後にしてイギリスへ行っています。理由はサミー・リーとして試合をするためです。
佐山聡がタイガーマスクになる前、イギリスでサミー・リーのリングネームで大スターであったことはプロレスファンなら誰でも知っていると考えます。
ちなみに、この時サミー・リーはイギリスでの活動を終えてイギリスを去るというストーリーにしてサミー・リーとしての活動を終了させたことは間違いがないと思います。これはプロレスにおいて人気レスラーがその地を去る場合必ず行われます。
理由は、これをしなければファンに対し説明がつかないからです。
タイガーマスクがその後使用していた本格的なマスクを制作していたのが誰なのか諸説あったのですがこれも近年判明しています。
レインボー造形です
レインボー造形と聞いてピンとくる方は特撮ファンですね!
レインボー造形は東映の特撮番組のスーツを作っていることで有名な会社です。
タイガーマスクのデビューは1981年4月からテレビ朝日で「タイガーマスク二世」というアニメが放送されることになった関係で実現した企画です。この関係でタイガーマスクのマントには
TIGERMASKⅡ
とデザインされていました。
さらにマスクですがこれは「タイガーマスク二世」のスポンサーをしていたポピー(現バンダイ)の依頼の元レインボー造形が製作していたのだそうです。
もっともアニメのほうは視聴率が悪く1982年1月で打ち切られています。
これにより大人の事情から解放された佐山聡は日本国内のマスク職人にマスクの製作を依頼します。この当時すでに日本国内にも本格的なプロレスマスク職人の方がいたのです。
ちなみにOJISANというブランドです。
ただ、レインボー造形が製作していたマスクはメキシコで考案されたと言われて、現在でもプロレスのマスクの主流である4分割製法を採用しているのでプロレスのマスクの作成をやっていなかった会社が作ったとは思えないほど、プロレスのマスクとしての完成度非常に高いものがあったといえます。
しかし、タイガーマスクのマスクを作っていたのがレインボー造形であった事実は意外でした。