伊藤詩織事件32

伊藤詩織事件32回目です

「ブラックボックス」何回読んでも新しい発見のある素晴らしい書籍です。

このブログを読まれた方は「ブラックボックス」を書いましょう。

何回も書いていますが私は山口敬之とは面識はありません。当然ですが山口敬之を擁護するためにこのようなブログを書いているわけではないと言うことです。

「ブラックボックス」の不可解な内容を指摘しているに過ぎません。

今回も荒唐無稽・・・・

失礼・・・・

伊藤詩織マジックについて書いていきます。

山口敬之の逮捕予定日に伊藤詩織はどこにいたのでしょうか?

189、190、191頁(文庫191、192、193頁)

 清水潔さんの本を読む

ジャーナリストとして私は、それまでに当然、マスコミに訴えること、自分でこの問題を記事にすることも考えた最初のタイミングは、逮捕状が執行されなかった時だった。このまま黙っていたら捜査が捻じ曲げられてしまうのではないか、と恐れたからだ。と同時に、なるべくたくさんの人たちに、この「準強姦罪」の問題点を知ってもらいたかった。

まずは、ロイターの上司に相談した。

上司には、早くから事情を打ち明けていた。事件の直後、あまりに私の休みが続くことを不審に思った彼に問い質され、膝の治療のせいばかりにはしていられなくなったのだ。心配してくれていた親しい同僚にも、話すしかなかった。会社に来られない理由で、嘘を重ねることが嫌だった。

山口氏の逮捕が突然取り止めになった時、この問題を取材してニュースにできないか、とロイターの中で提案した。すると、強い関心を示す同僚はいた。

しかし、会議にかかったところで支局長は「この問題を取り上げることはできない」と言った。その理由は、身内が受けた被害であるため、取り上げ方がどうしても客観性に乏しくなるから、だった。

また、主に海外のメディアにニュースを配信するロイターでは、国内のこのようなニュースについては需要がなかったこともある。当時は、警察にあっても私の手元には証拠や証言があるわけでもなかったので、確かに難しかっただろう。

それなら、どこが報じてくれるのか。

ニュース性を問われる上、何かしらの語れる事実が必要であった。一刻も早く何らかの形で、この捜査の流れを変えなければいけなかった。

そこに、一つのタイミングが来た。警視庁が、やっと事件を書類送検することになったのだ。このチャンスを逃してはいけなかった。伝手を辿って、清水潔さんに相談してみよう、と思い立ったのも、その頃だ。清水さんはこれまでに、「桶川ストーカー殺人事件」や「足利事件」などの取材で、警察や検察の捜査を覆す数々のスクープを放った著名なジャーナリストだ。

逮捕状についての連絡がある前、友人の家を訪れた際、彼女の玄関に本棚があり、そこで靴ヒモを結んでいる際に目に入った本が、清水さんの著書『殺人犯はそこにいる』(新潮社)だった。

「これ何?すごいタイトルの本だね」

というと、彼女は、

「あ!貸そうと思ってたの。この本は絶対に詩織は読むべき。ドイツへ行く飛行機で読んで」

と、手渡してくれたのだ。

このタイミングで出会ったことが運命であったかのように、この本は私に大きな影響を与えた。

伊藤詩織は逮捕予定日に日本にいたと書いています

逮捕中止をドイツで電話を受けた日に日本にいたことになります

この部分の記述を読めば理解できますが伊藤詩織は山口敬之との事件後もロイターでのインターンを辞めていません。続けています。

山口敬之の逮捕中止(二〇一五年六月八日)の連絡を受けた時にも東京にいたことになります。

189、190頁(文庫191、192頁)

 ジャーナリストとして私は、それまでに当然、マスコミに訴えること、自分でこの問題を記事にすることも考えた最初のタイミングは、逮捕状が執行されなかった時だった。このまま黙っていたら捜査が捻じ曲げられてしまうのではないか、と恐れたからだ。と同時に、なるべくたくさんの人たちに、この「準強姦罪」の問題点を知ってもらいたかった。

まずは、ロイターの上司に相談した。

上司には、早くから事情を打ち明けていた。事件の直後、あまりに私の休みが続くことを不審に思った彼に問い質され、膝の治療のせいばかりにはしていられなくなったのだ。心配してくれていた親しい同僚にも、話すしかなかった。会社に来られない理由で、嘘を重ねることが嫌だった。

山口氏の逮捕が突然取り止めになった時、この問題を取材してニュースにできないか、とロイターの中で提案した。すると、強い関心を示す同僚はいた。

この部分の記述でこれは証明されます。

伊藤詩織は逮捕中止になった後ドイツへ行っています

これに190頁(文庫192頁)と191頁(文庫192、193頁)の記述が加わります。

190頁(文庫192頁)

警視庁が、やっと事件を書類送検することになったのだ。

191頁(文庫192、193頁)

逮捕状についての連絡がある前、友人の家を訪れた際、彼女の玄関に本棚があり、そこで靴ヒモを結んでいる際に目に入った本が、清水さんの著書『殺人犯はそこにいる』(新潮社)だった。

「これ何?すごいタイトルの本だね」

というと、彼女は、

「あ!貸そうと思ってたの。この本は絶対に詩織は読むべき。ドイツへ行く飛行機で読んで」

と、手渡してくれたのだ。

この記述で伊藤詩織は書類送検時に日本にいたと書いています。

さらに逮捕予定の連絡がある前に日本の友人宅を訪問していることを書いています。

この時点(書類送検時)では伊藤詩織はまだドイツに行っていません。

伊藤詩織は逮捕予定日の二〇一五年六月八日にはロイターのインターンを続けていたことを書いています。さらにその後も日本に滞在をして友人宅を訪問しています。そして書類送検を知りますがこの時もロイターのインターンを続けていたことになります。

この部分の記述ではドイツに行ったのはその後になります。

当然ですがこの記述では逮捕中止を日本で知らされ、さらに書類送検時にも日本に滞在していて、その後ドイツに行ったことになり、この状況(逮捕中止時日本にいた)をより強く証明することになります。

当然ですがこの記述では逮捕中止を日本で知らされ、その後ドイツに行ったことになり、この状況(逮捕中止時日本にいた)をより強く証明することになります。

玄関に本棚を置いている友人も伊藤詩織マジックでしょう!

伊藤詩織が2つの都市に同時に滞在したのはこれで2例目です

131、132頁(文庫134頁)

 私はその頃、少しずつ仕事を再開することができるようになり、ドイツで仕事をする機会を得た。まだ、山口氏に似た人を見るだけでパニック症状を起こしていたので、日本人の比較的少ないベルリンは、どことなく安心して過ごせた。やっと自分の仕事、普通の生活が戻ってきた。

山口氏の帰国に合わせ、成田空港で逮捕する、という連絡が入ったのは、六月四日、ドイツに滞在中のことだった。「逮捕する」という電話の言葉は、おかしな夢の中で聞いているような気がして、まったく現実味を感じることができなかった。

「八日の月曜日にアメリカから帰国します。入国してきたところを空港で逮捕する事になりました」

A氏は、落ち着きを見せながらも、やや興奮気味な声で話した。逮捕後の取り調べに備えて、私も至急帰国するように、という連絡だった。

この部分の記述を読むと事件後、ロイターのインターンを辞めてドイツに引っ越しどのような職業かは不明ですが仕事を再開していたことになります。

つまり伊藤詩織は山口敬之の逮捕中止があったとされる二〇一五年六月八日は日本の東京とドイツのベルリン2つの都市に同時に滞在していたと「ブラックボックス」に書いているのです。

2つの都市(2ヶ国)に同時に滞在していた。これは「伊藤詩織事件13」で指摘した2013年はイタリアのフィレンツェとアメリカのニューヨーク2つの都市に同時に滞在していた。これに続き2回目です。

しかし「ブラックボックス」の著書は伊藤詩織です。この不可能としか考えられない状況にも誰もが納得する説明をするでしょう。

伊藤詩織マジック!

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件33へ続く

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