2002年放送の「仮面ライダー龍騎」は仮面ライダーではありません。
東映は2000年に「仮面ライダークウガ」、2001年に「仮面ライダーアギト」を制作していますが仮面ライダーはこの2作品で終了、中断して新しい特撮作品の制作を企画していました。
なぜ仮面ライダーシリーズを終了、中断しようとしたのかには諸説ありますが、一番強い理由としてデザインの問題があります。
最初の仮面ライダーはバッタがモチーフでした。
その後の仮面ライダーもバッタ以外がモチーフになっている場合もありますが1号、2号のイメージを踏襲したデザインになっています。
仮面ライダーのデザインが大きく変化したのが1987年の「仮面ライダーBLACK」です。なんといってもマフラーが無くなりました。
2000年の「仮面ライダークウガ」、2001年の「仮面ライダーアギト」も最初の1号、2号のデザインを踏襲する仮面ライダーに相応しいデザインでした。
要するに仮面ライダーの名前に相応しいデザインを毎年作り続けるのが難しい。これが現実です。
これに加えて「人間でありながら人間でない」この仮面ライダーの定義をどうやって守るのか?
この問題があります。
この関係で2002年「仮面ライダーアギト」の後番組は新しい特撮作品の予定だったのです。
ところが、この企画に対し石森プロダクションの人間が「その作品仮面ライダーでできないか?」このように言ってきたそうです。
2002年に放送されたのは「仮面ライダー龍騎」ですが、これは元々仮面ライダーではなかったのです。それを石森プロダクションの人間が「その作品仮面ライダーでできないか?」こう言い出して結局仮面ライダーにしてしまったのです。
ただ関係者には申し訳ありませんが、あの作品のどこが仮面ライダーなのですか?
ちなみに私は「仮面ライダー龍騎」は見ています。さらに今から10年くらい前にDVDを借りて一気見をしています。
はっきり言えば面白い作品です。
「仮面ライダー龍騎」放送当時、私は30代でした。大人が見ても十分楽しめる作品です。
というよりも子供に受けるのか?
このような感覚で見ていました。
「仮面ライダー龍騎」放送当時私はすでにインターネットを利用していました。
「仮面ライダー龍騎」のデザインが発表されるとネット上で速攻で炎上したことを覚えています。
このデザインのどこが仮面ライダーなんだ?
この意見で溢れかえっていました。
私も同感でした。
さらにストーリーも批判の対象になっていました。
悪と戦うわけではないからです。仮面ライダー同士が戦うという訳のわからないストーリーでした。「仮面ライダークウガ」「仮面ライダーアギト」この2作品には明確な悪の組織は描かれていません。ただ人間を襲う怪人が敵として描かれていました。
「仮面ライダー龍騎」という作品は面白いのですが仮面ライダーではないだろう?
放送当時この意見が圧倒的に多かったです。
元々、東映は新しい特撮番組の企画を進めていたのは東映には特撮番組に関しては非常に高い制作能力があることも関係しています。
無理に仮面ライダーを作り続ける必要はないのです。
2002年の「仮面ライダー龍騎」の問題として、この作品で仮面ライダーの定義がなくなっています。これに加えてデザイン面でも仮面ライダーのデザインというものが無くなっています。
「仮面ライダー龍騎」に登場した自称仮面ライダーのデザインを見ればこれは一目瞭然です。
個人的に仮面ライダーナイトのデザインは好きなのですが、当然ですが「仮面ライダーではないだろう?」このツッコミが入ります。
要するに「仮面ライダー龍騎」は仮面ライダーでもなんでもない作品に仮面ライダーのタイトルを付けて放送したに過ぎません。
「仮面ライダー龍騎」という作品は仮面ライダーとは何か?
仮面ライダーの定義を含めこれを全てぶち壊しているのです。
1980年代後半に放送されていた「仮面ノリダー」の方がよっぽどか仮面ライダーの定義に拘っています。
事実この作品はオリジナルキャストの小林昭二が出演、ナレーターも中江真司を起用しています。
仮面ライダーという作品を大真面目にパロディーにしていたのです。
当然ですが「仮面ノリダー」のスタッフの方が「仮面ライダー龍騎」のスタッフより仮面ライダーという作品に拘って制作していたのです。
「仮面ノリダー」に関しては東映の関係者がブチ切れたというエピソードもありますが、石ノ森章太郎は「仮面ノリダー」を見ていたそうです。
話を「仮面ライダー龍騎」に戻そうと思います。
今回このブログを書くにあたり「仮面ライダー」の商標登録を調べました。東映が権利を持っています。
これは意外でした。それというのも石森プロダクションが権利を持っていると考えていたからです。
現在でも仮面ライダーと称する番組は放送されていますが商標を東映が持っているのであれば原作に石ノ森章太郎をクレジットしなくても構わないからです。
戦隊シリーズ第1作「秘密戦後レンジャー」、第2作「ジャッカー電撃隊」この2作品は原作に石ノ森章太郎をクレジットしていますが第3作「バトルフィーバーJ」からは原作が八手三郎になっています。これは石ノ森章太郎が作品に関わらなくなったからです。
石ノ森章太郎は1998年に亡くなっています。当然ですが作品に参加することはできません。
2000年の「仮面ライダークウガ」、2001年の「仮面ライダーアギト」さらに2005年の映画「仮面ライダー THE FIRST」に石ノ森章太郎に敬意を示すために同氏をクレジットすることは理解できます。
ところが2002年に東映は仮面ライダーでもなんでもない作品に仮面ライダーの名前を付けて放送をするようになります。
「仮面ライダー龍騎」の関係者には申し訳ありませんが同作は仮面ライダーではありません。
それでは何故この作品に仮面ライダーのタイトルが付けられたのか?
さらには、同作をきっかけに仮面ライダーでもなんでもない作品に仮面ライダーの名前を付けるようになったのか?
これははっきり言えば大人の事情です。
石森プロダクションの人間が「その作品仮面ライダーでできないか?」これにより仮面ライダーでもなんでもない作品に仮面ライダーの名前を付けて放送するということが始まったのですが、番組タイトルに「仮面ライダー」を付けた場合、石森プロダクションにも作品の権利が発生し、お金が入ってくるからです。これは玩具、映画、DVD等の売り上げです。
このために石森プロダクションが「その作品仮面ライダーでできないか?」こう言い出したことは間違いがないでしょう。
「仮面ライダークウガ」「仮面ライダーアギト」でかなりの金額が入ってきて、その利権を手放したくなかったのでしょう?
石森プロダクションがどの程度の規模の会社かは知りませんが、石ノ森章太郎の過去の作品の管理によって入ってくる金額は大したことがないのが現実で間違いがありません。
これは手塚治虫の虫プロダクションにも同じことがいえて以前、虫プロダクションの社長を務めていた方がインタビューで「手塚治虫の過去の作品の管理で入ってくる金額は大した額ではない」と答えていました。少なくとも何人もの人間を社員として抱えて経営できるだけの金額は入ってこないのです。
これはウルトラマンの円谷プロダクションにいえることで過去のウルトラマンの作品、キャラクターの権利で入ってくるお金ではプロダクション経営は難しいのが現実です。その関係で新しいウルトラマン作品を制作しているのです。
要するに「仮面ライダー龍騎」で仮面ライダーのタイトルを付けたのは石森プロダクションの経営のためです。
仮面ライダーの原作者の作品を管理する会社によって仮面ライダーでもなんでもない作品に仮面ライダーの名前が付けられるようになったのは皮肉としか言いようがありません。
ガンダムでいえばGや∀が同じ問題を抱えていますね。
何一つ共通フォーマットを踏襲せず、まるで関係ない作品として作成されるパターンはよくある事だと思います。
ゴジラのように、「初代が偉大すぎて次回作以降が駄作となる縮小再生産になる」か、あるいは仮面ライダーやガンダムのように「常に新しい事を続けて元の原型を失くすか」の二択しかないのが、シリーズものの難しさでもありますね。
個人的な意見ですが、BlackやSeedのように原点回帰を志向する作品は、その面白さに関わらずオールドファンから否定される傾向にあるように思えます。
映像作品、小説、漫画等シーリズ化されると必ず起こる問題です。
ゴジラに関してですが一時期、子供向け作品を制作していましたが1984年に初代のリメイクを制作しています。その後は原点回帰をしたシリーズを制作していましたが現在は中断しています。
これは本来のゴジラを作り続けることが難しいからと考えます。
∀ガンダムは1stの富野由悠季が総監督を務めています。
自らオリジナルをぶち壊すという行為をしているのは安易なシリーズ化への抵抗ではないでしょうか?
Gに関してはガンダムの名前がついているが別作品という認識です。
ただデザインはガンダムですので認めているのが現実です。
仮面ライダーに関しては1987年にBLACKで原点回帰をして初代シリーズを見ていた世代にも高く支持された現実があります。
これを考えると尚更、仮面ライダーでもなんでもない作品(これはデザイン、定義について)に仮面ライダーのタイトルを冠した番組を制作している現在の東映の姿勢には疑問しか感じません。
龍騎放送当時幼稚園児でした。
確かに龍騎は仮面ライダーの看板を外して放送してもなんら問題ないですね。
今のライダーって本当に仮面ライダーなのかなあと考えたりしていましたが、龍騎がまさにそんな作品だったんですね。龍騎で育った世代なので当然のように「これが仮面ライダーなんだ」と思って見てましたが大人の事情によるものだったとは…。
ちなみにストーリーは全然わかってなくて鏡に入って仮面ライダーが戦ってるぐらいの認識でした。
コメント頂きありがとうございます。
私は当時30代でしたのでストーリーは面白く見ていました。
ただブログにも書きましたがデザインが仮面ライダーではない。
カードデッキを偶然拾っただけの普通の人間が仮面ライダーになる。
自称仮面ライダー同士で戦う。
当時インターネットを利用していましたが、かなりの方がブチ切れていたことを覚えています。
当然私もその一人ですが。
龍騎を児童層の時にリアルタイムで見ていた方でも「仮面ライダーの看板を外しても問題ない」という意見が出るくらいですから、現在の仮面ライダーのあり方も見直すべきと考えます。
龍騎は確かに子供に分かるストーリーではありませんでしたね。
自分はよく「原作(者)至上(原理)主義は絶対か?」と考えます。
例えば「ルパン三世」。よく「ルパン三世」はアダルトなアニメの第1シーズン(最初のシリーズ)がホンモノ、第2シーズン以降はオコチャマ向け! という評価があります。
自分も第1シーズンのルパンは好きですが、あれも原作のムードとは微妙に違います。モンキーパンチ氏のオリジナルの漫画「ルパン三世」は、大人向けに記号的なお色気はありますが、アダルトなけだるい大人のムードやロマン何かない、「トムとジェリー」みたいな漫画のナンセンスを追求したひたすら軽妙、軽快なアクションギャグ漫画です。
モンキーパンチ氏がアニメ「ルパン三世」を演出した際、後ろからルパンが敵を撃つシーンを入れたら、「ルパンはそんな卑怯な事しません!」と注意された有名なエピソード。
アニメ第1シーズンもそれ以降も、既にアニメ「ルパン三世」は原作者のモンキーパンチ氏の手を離れているんです。
「仮面ライダー」も「ウルトラマン」もそうです。「ウルトラマン」はご存じでしょうが、著作権、名義は「円谷プロ」ですが、とっくに円谷一族のスタッフは追放されています。
「仮面ライダー」も平成ライダーは石ノ森先生の原作のイメージじゃない! という声がありますが、元々ライダーは東映が企画した作品で、石ノ森先生はデザイン、漫画化のスタッフとして参加しただけです。
(石ノ森先生をおとしめているのではなく、むしろライダーシリーズに一貫しているのはあの複眼の「目」。普通のヒーローぽくない、異形のデザインこそ、石ノ森先生の天才的なセンスだと思いますが、それはまた別の話)
(「必殺仕掛人」の「必殺シリーズ」。あれも第一作目の「必殺仕掛人」を見た原作の池波章太郎氏が、原作のイメージと違う! と怒って、以後2作目の「必殺仕置人」からは「原作池波章太郎」のクレジットはハズされました)
「ルパン」に話戻せば、圧倒的に人気を博した第2シーズン以降のアニメ「ルパン三世」。あれから見始めて、「ルパン三世」のファンになった子にとっては、あれが「本当のルパン三世」何です。
仮面ライダーなら、1作ごとにまるで世界観が変わる平成ライダー。どれから見始めて、どれを好きになってもいいと思います。
あるのは個人の好き好きで、「ホンモノ、ニセモノ」という定義はナンセンスだと思います。