伊藤詩織事件19回目です。
「ブラックボックス」を私は何度読んだか分かりません。
それにもかかわらず新しい発見が続きます。
今回もツッコミどころ・・・・
失礼・・・
伊藤詩織マジック全開でお送りいたします。
伊藤詩織の芸能活動について
中学では部活動との掛け持ちです
24頁(文庫28、29頁)
妹がまだ一歳の時だった。近所の銭湯で、モデルの事務所のマネージャーだという女性が母に声をかけ、妹をモデルにする気はないか、と言った。事務所に来るだけでも、と熱心に誘われ、母は随分舞い上がったことだろう。その場で了承し、私たちきょうだいを連れて事務所へ向かった。良かったら、と一緒に行った私たちも、訳のわからないまま写真を撮られたことを覚えている。
しかし、母は特にステージママになることもなく、結局一人でどこにでも行けて人見知りをしない私だけが、仕事をすることになった。当時九歳くらいだった。ファックスで送られてくる地図の下に、交通機関の乗り換えの仕方を順番に書いてもらい、オーディションや現場へ向かった。
(中略)
中学校に上がった頃から、外でこのような仕事をしていることが、同級生の目にとまるようになった。目立たないようにと仲のいい友達にしか話していなかった上、芸名も使っていたため、噂が広がった時はどうしていいかわからなかった。初めは些細なからかいから、やがてそれはいじめに発展した。
26頁(文庫30、31頁)
もうすぐ中学三年生という時に退院した。学校に戻ると、今まで自分が生かされていた世界が、いかにちっぽけだったかを思い知った。
担任の先生に、一学年をやり直すことも勧められた。でも、この時の私には、遅れていた日本史や数学の勉強が私の人生を左右するものではないと、はっきりわかっていた。周りの友達が受験や進学の準備に忙しかった一方、私は地域に住む外国人に日本語を教えたり、老人ホームや障害者施設でボランティアに時間を費やした。学校の外の世界とのつながりを持つことが楽しかった。
32頁(文庫35、36頁)
日本に戻った私は、母を驚かせた。
「私の娘はどこに行ったの?」
それは、私が出かける前とはまったく違う風貌になっていたからだ。
アメリカで出されていたものをすべて胃袋に収めてきたので、日本を離れた時から十一キロ近く体重が増え、しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。
久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。
この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。
これらの記述から伊藤詩織は小学生の途中から中学卒業後、アメリカ留学前までモデル事務所で芸能活動をしていたことになっています。
そうなると問題があります。伊藤詩織は中学校でバスケットボール部に所属し試合にまで出ています。
部活動に参加する時間がありません。
小学生の時は問題はありません。しかし中学生の時には芸能活動と部活動の両方をやっていたことになります。それも二年生で試合にまで出るくらいでの選手です。
つまり芸能活動と部活動の二刀流です。
どう考えても時間的に不可能です。
これぞ伊藤詩織マジックといったところでしょう!
退院後の不可解な行動
部活動に復帰していません
芸能活動も再開していません
再度26頁(文庫30、31頁)
もうすぐ中学三年生という時に退院した。学校に戻ると、今まで自分が生かされていた世界が、いかにちっぽけだったかを思い知った。
担任の先生に、一学年をやり直すことも勧められた。でも、この時の私には、遅れていた日本史や数学の勉強が私の人生を左右するものではないと、はっきりわかっていた。周りの友達が受験や進学の準備に忙しかった一方、私は地域に住む外国人に日本語を教えたり、老人ホームや障害者施設でボランティアに時間を費やした。学校の外の世界とのつながりを持つことが楽しかった。
伊藤詩織は退院した後、何故かバスケットボール部に復帰していません。二年生で試合に出ているくらいですから普通であれば部活動に復帰して当然です。しかも芸能活動もしていないことになっています。しかし、上記しているように伊藤詩織はアメリカ留学前まで芸能活動をしていたことになっています。
これは32頁(文庫35、36頁)の記述で証明されます。
日本に戻った私は、母を驚かせた。
「私の娘はどこに行ったの?」
それは、私が出かける前とはまったく違う風貌になっていたからだ。
アメリカで出されていたものをすべて胃袋に収めてきたので、日本を離れた時から十一キロ近く体重が増え、しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。
久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。
この記述で中学まで芸能活動を続けていたことが理解できます。
高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。
高校生になりアルバイトができるようになった関係で芸能活動をする理由がなくなったと書いているのです。
つまり中学生の時までは芸能活動をやっていたと書いているのです。
さらにアメリカ留学が一年間であったと書かれています。
帰国後、芸能事務所に挨拶に行っていますがこれが不可解な行動です。何故なら伊藤詩織は芸能活動を再開していないからです。芸能活動を再開しないのに何故、伊藤詩織は芸能事務所に挨拶に行ったのでしょうか?
何故フロリダに友達がいるのでしょうか?
32頁(文庫36頁)
しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。
この記述がありますが伊藤詩織は日本生まれの、日本育ちです。
何故フロリダに友達がいるのですか?
伊藤詩織の交友関係は日本国内に限定されています。カンザス州で友達になった方はカンザス州に住んでいます。
このようなことを書くのであればフロリダに友達がいる理由も書く必要があります。
それとアメリカのフロリダ州は確かに常夏の地域です。しかし、フロリダ滞在中ずっと日光浴でもしていなければ短期間で真っ黒に焼けることはありません。フロリダ州に居住されている方で日焼けをされていない方は多くいらっしゃいます。
亡くなられたプロレスの神様カール・ゴッチがいい例です。
何故かボランティアを始めています
再々度26頁(文庫30、31頁)
もうすぐ中学三年生という時に退院した。学校に戻ると、今まで自分が生かされていた世界が、いかにちっぽけだったかを思い知った。
担任の先生に、一学年をやり直すことも勧められた。でも、この時の私には、遅れていた日本史や数学の勉強が私の人生を左右するものではないと、はっきりわかっていた。周りの友達が受験や進学の準備に忙しかった一方、私は地域に住む外国人に日本語を教えたり、老人ホームや障害者施設でボランティアに時間を費やした。学校の外の世界とのつながりを持つことが楽しかった。
ところがこの記述では部活だけでなく、モデル事務所での芸能活動もやっていないとしか解釈できない書き方をしています。
もうすぐ中学三年生という時に退院した。
周りの友達が受験や進学の準備に忙しかった一方
26頁(文庫30、31頁)の記述では伊藤詩織は中学2年生の3学期の終わり頃に退院しています。
この時期はまだ受験や進学に忙しい時期ではありません。
26、27頁(文庫30、31頁)
私は地域に住む外国人に日本語を教えたり、老人ホームや障害者施設でボランティアに時間を費やした。
伊藤詩織は退院後、部活動に復帰もせず、芸能活動も再開せずにボランティア活動を始めています。どう考えても不可解です。
私は地域に住む外国人に日本語を教えたり
この記述があるのですが、日本に住む外国人は基本的には日本語が話せる方です。英語教師等の語学の先生として日本に住んでいる場合は日本語を覚える必要はありません。技能実習生の名目で単純労働をしている方達も日本語を覚える必要はありません。
日本に住んでいて日本語の話せない外国人は一般的には違法状態で日本に滞在している方が多いのが現実です。
そもそも日本語の話せない外国人が住んでいるとはどのような地域なのでしょうか?
しかもそのような方達に日本語教えている?
このあたりも伊藤詩織マジックといったところでしょう!
銭湯でスカウトされる?
再度24頁(文庫28、29頁)
妹がまだ一歳の時だった。近所の銭湯で、モデルの事務所のマネージャーだという女性が母に声をかけ、妹をモデルにする気はないか、と言った。事務所に来るだけでも、と熱心に誘われ、母は随分舞い上がったことだろう。その場で了承し、私たちきょうだいを連れて事務所へ向かった。良かったらと、と一緒に行った私たちも、訳のわからないまま写真を撮られたことを覚えている。
そもそも論ですが何故銭湯に行っているのですか?
貴方いつの生まれなのですか?
1990年代に銭湯でモデルのスカウト活動をおこなっているモデル事務所のマネージャーの行為も伊藤詩織マジックでしょう!
このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。
まだまだネタはありますよ!
当然ですが
つづく!
伊藤詩織事件20へ続く
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