これも仮面ライダーファンの間では有名な話ですが藤岡弘(名称当時、以下同)は1972年4月から始まった新1号編の主役復帰後、失踪事件を起こしています。
今回はこの事件について書こうと思います。
1972年4月仮面ライダー主役復帰。しかし、この時期、藤岡弘は大きな悩みを抱えます。仮面ライダーは2号編に引き続き毎週高視聴率を記録し続けています。
ところが
この人気は自分の実力なのだろうか?
仮面ライダーが人気番組になったのは佐々木剛が主役を務めていたライダー2号編の時です。
藤岡弘は、ある日突然人気番組の主役になったにすぎません。
そこで藤岡弘は行動に出ます。それは他の番組(ドラマ)のオーディションを受けるということです。
受けたのはNHKが同年10月から放送の「赤ひげ」です。
藤岡弘は、このドラマの「保本登」役でオーディションに合格します。
新人俳優の藤岡弘が喜んだことは間違いないでしょう。
何と言っても自分の実力で勝ち取った役です。
ところが、このことを事前に仮面ライダー側(毎日放送、東映)には話していませんでした。当然ですが事後報告とういうことになります。
これに対し仮面ライダー側は「掛け持ちはダメだ」と「赤ひげ」の話を断るよう話したと言われています。
これに対しNHK側も「掛け持ちはダメだ」と「仮面ライダー」を降りる様に話したと言われています。
ここで藤岡弘は若気の至りを炸裂させます。
失踪したのです
私は当時幼稚園児で、まだ5歳です。
この事件は当時新聞でも報道されています。それだけ大きな事件だったということです。
しかし、私は幼稚園児です、その様な事情を知ることはありませんでした。
私がこの事実を知ったのは30代になってからです。
この件に関しては1985年講談社から出版された「仮面ライダー大全集」の中でも正確には書かれていません。
この本で書かれている内容は「藤岡弘と東映の間で契約問題が起こって、その為第66話と第67話には出演していません」こういう内容でした。
今となっては「何故この様な表記になったのか?」これも謎です。
当然ですが主役がいないのです。
撮影ができません。
この時、旧1号編で藤岡弘の入院により変身前の本郷猛が出演しないエピソードを3本製作した経験が生かされたと聞いています。
「本郷猛が出演しない脚本を書けばいいのでしょ」この様な感じで問題の2話は作成されたと聞いています。
ただ、当然ですが現場では様々な問題が起こっています。
その最大の問題は夏休みに公開されるオリジナル映画でした。
映画のタイトルは「仮面ライダー対じごく大使」です。
新1号編開始と同時にショッカーの新大幹部として登場したのが潮健児演じる地獄大使です。
映画のタイトルからも分かる様にショッカーの大幹部は地獄大使です。
ところが藤岡弘が失踪した時点ではテレビでは天本英世演じるショッカー大幹部、死神博士が生きていたのです。
映画を公開する前にテレビで死神博士に死んでもらわなければ困るのです。
ちなみに死神博士の正体はイカデビルですが、当初の予定ではギリザメスになることが決まっていました。
ギリザメメスがショッカー大幹部、死神博士の正体にふさわしい貫禄のあるデザインであったことは説明の必要もないことでしょう。
しかし、怪人のスーツは事前のデザイン、発注が必要なものであり、死神博士を死なせるエピソードの製作を遅らせたからといって急遽、新しい怪人のスーツを作ることは不可能です。
そこで本来、死神博士の正体として用意されていたギリザメスを第67話「ショッカー首領出現!! ライダー危し」で藤岡弘の出演していないエピソードで登場させることになったのです。
これ以外にも怪人の問題は発生しています。
第66話「ショッカー墓場 よみがえる怪人たち」で夏休み公開のオリジナル映画で主役怪人を務めるカミキリキッドが急遽出演しています。
当然ですが映画公開前に映画の主役怪人がテレビで登場するということは映画にとっては都合の悪い内容です。
怪人以外にも問題はありました、オートバイです。
映画では仮面ライダーの乗るオートバイ「サイクロン号」が新しくなっています。
しかし、テレビではそうではありません。
つまりテレビで新しい「サイクロン号」をデビューさせなければならなかったのです。
当然ですが。これも藤岡弘失踪時には、まだ撮影されていませんでした。
さらに夏休み公開の映画は何故かダブルライダー編ではありませんでした。
昭和ライダー(スーパー1まで)のオリジナル映画では必ず歴代のライダーが客演しています。
仮面ライダー対ショッカー 1972年3月公開
仮面ライダー対じごく大使 1972年7月公開
仮面ライダー対デストロン怪人 1973年7月公開
5人ライダー対キングダーク 1974年7月公開
仮面ライダー8人ライダー対銀河王 1980年3月公開
仮面ライダースーパー1 1981年3月公開
上記の作品で唯一ゲストライダーが出演していないのが「仮面ライダー対じごく大使」なのです。
この映画が2号が出演するダブルライダー編として佐々木剛が本格的に出演していれば、急遽脚本を書き換え2号の単独主役、さらにテレビの主役も新2号編として放送されていた可能性も否定できないと考えます。
この考えに関しては佐々木剛の当時のスケジュールの関係で困難なのも事実だと考えます。
しかし、これだけの問題を新人俳優が起こせば当然の処置だとも言えます。
それと何故この作品に2号が登場していないのか?
これは現在でも不明です。もし事情を知っている方がいらしたらコメントをお願いいたします。
少々話が長くなりましたが「仮面ライダー」は藤岡弘を主役として使い続ける以外の方法がなかったのが現実です。
続いて問題の藤岡弘失踪に話を戻します。
公式の話では川崎で肉体労働をしていたところを新聞記者に発見されたことになっていますが、実際には伊豆周辺をぶらぶらしていたそうです。
どちらにせよマスコミに発見されたことは事実です。
この時、藤岡弘は心境をマスコミに話しています。それが記事になって報道されています。
これが大きな反響を呼び、藤岡弘に対する同情論的な意見が起こります。
「赤ひげ」のオーディションを受けたのは藤岡弘が自分の実力を試しただけに過ぎません。さらに俳優であれば自身のステップアップを目指すのは当然の行為です。
逆に現在の地位に満足している俳優の方が問題があるのが現実ではないでしょうか?
これは俳優の話だけでなく他の職業においても同じことが言えると思います。
藤岡弘に同情的な意見が起こった時、他のテレビ局のプロデューサーが自局のドラマに使いたいと言ったという話も聞いています。(これに関しては事実確認は取れていません)
このように藤岡弘に追い風が吹いた、これに加えて上記しているように「仮面ライダー」は藤岡弘を主役として使い続ける以外の選択肢がなかったのです。
結局「仮面ライダー」側と話をして主役を続ける、「赤ひげ」の話は断る。さらに今後は「仮面ライダー」以外の仕事もいれても良いということで、この事件は決着をいたします。
ただし、ここからは私の推測なのですが「仮面ライダー」の制作の方々が関係者に対し頭を下げまくったことは間違いが無いと思います。
当然、藤岡弘本人も関係者に対し頭を下げまくったことでしょう。
とにかく新人俳優がこれだけの問題を起こしていながら芸能界を引退せずに、しかもその後俳優としてキャリアアップし成功したことは特筆すべきことだと考えます。
藤岡弘という方は旧1号編のバイク事故の時もそうですが、とてつもなく強い運を持っている方であると言っていいでしょう。
この運の強さは、どの様なピンチも必ず跳ね返す。さすが仮面ライダー、本郷猛だと言って良いのではないでしょうか。
私がこのブログに辿り着いたきっかけとなった事件ですので、印象深いです。
若き日の新人俳優・藤岡弘の若気の至りとして語られるこの事件ですが、個人的には藤岡氏の俳優としての責任感を疑問視せざるを得ませんし、人気番組を継承する形で人気俳優となった藤岡氏の義理の足らなさを残念ながら感じてしまいます。
「ライダー2号を忘れていたな」の記事にもあった通り、実質的な番組の盛り上げは山本リンダ氏および佐々木剛氏の活躍が大きく、スタッフサイドとしても佐々木氏の続投を望んでいたという話です。
当時の特撮俳優の契約がどのようなものだったのかはわかりませんが、現在とは違って「特撮俳優は売れない」というのが当時の一般的な認識でした。
したがって藤岡氏の感じていて焦燥は極めて現実的で、事実に即していたと考えていいでしょう。
ですがどのような理由であれ、失踪によって番組スタッフに大きな迷惑をかけてしまったのは事実です。
撮影中のバイク事故に続いた二度目のやらかしだというのも印象がよろしくありません。
何よりもライダー役を禅譲した佐々木氏に対してあまりにも失礼極まる振る舞いでしょう。
俳優としての実力を試したいというのであれば、番組終了後にするか、あるいはそうでなくても事務所との綿密な相談が必要でした。
そこをあえて仮面ライダーの撮影の合間を縫って面接に行ったところに、「ライダー人気を利用して新しい道を切り開く」という藤岡氏の甘えを感じざるを得ないのです。
仮面ライダーで終わりたくないはずの男が、仮面ライダー人気を利用して新しい道を切り開こうとすることに、大きな矛盾を感じてしまうのです。
ただし本件で私が最も許せないと感じるのは「赤ひげ」の面接者です。
当時藤岡氏が仮面ライダーとして大人気だったことは自明なのですから、合格後に後出しで「仮面ライダーは辞めてもらう」と告げるのはあまりにも酷ではないでしょうか?
そうでなくても面接において「仮面ライダーとの両立は所属事務所からokが出ているのか?」との確認をするべきだったのではないでしょうか?
本件は藤岡氏の若気の至りと業界の悪習という点において大きな意味を持つイベントでしたが、仮面ライダーの品位を落とし、また10~12話と同じくライダー本人不在という違和感を生み出してしまった点において非常に残念に思えます。
そして当時の子供にとってどういう感想だったのかは気になるところではありますね。
私もこの事件を知った当時は藤岡弘の義理の足りなさを強く感じました。
藤岡弘が降板した時に主役を引き受けた佐々木剛が「藤岡弘が復帰できるまで、彼が復帰できたら自分は役を降りる。」この条件で引き受けて、藤岡弘復帰後も常時ダブルライダーでやって欲しいとのスポンサー、テレビ局の依頼も振り切り主役を藤岡弘に返したのですから当然です。
さらに藤岡弘には降板後もスタッフの配慮でギャラの半額が支払われています。
>撮影中のバイク事故に続いた二度目のやらかしだというのも印象がよろしくありません。
このようにありますがバイク事故に関しては藤岡弘の責任ではないと考えます。
理由は仮面ライダーは4月放送開始にも関わらずクランクインが2月に入ってからでした。これは事実確認をしたわけではありませんがクランクイン後、藤岡弘には事故の日まで休みがありませんでした。
この超ハードスケジュールの中、大阪ロケまで行っています。
これに加え旧1号編では藤岡弘自身が仮面ライダーも演じるということまでやっています。
いくら藤岡弘が20代とはいえ無茶苦茶なスケジュールで仮面ライダーは撮影されていたのです。
事実、問題のバイク事故は危険なスタントでもなく、ただバイクに乗ってカーブを曲がるこれだけのカットでした。
藤岡弘のバイク事故に関して改めて考えてみると当時のスタッフの配慮があまりにも無さ過ぎると感じます。
理由はこの事故の最大の原因が藤岡弘の疲労だったからです。少なくと私はそう考えています。
この時の一番大きな怪我は左足大腿部の複雑骨折です。
さらにこの事故時、藤岡弘はノーヘルです。
この事故を改めて考えてみると「よく死ななかったな?」この感想しか出てきません。
藤岡弘が柔道の有段者で受け身を取っていなければ確実に死んでいたと考えます。
話を「赤ひげ」のオーディションに移します。
仮面ライダーの主役を演じている時に他のドラマのオーディションに行ったことは藤岡弘の落ち度であると私も考えます。仮面ライダーの主役を演じている俳優としてオーデションに参加しているので当然です。
ただ、これはコメントで初めて気がついたのですが「赤ひげ」のスタッフの対応には問題がありすぎます。
当時、藤岡弘は仮面ライダーの主役であったことは有名だったからです。
オーディション時に仮面ライダーとの関係を確認する責任があると考えます。それをしないでオーディション合格後に仮面ライダーを降りてくれは余りにも無責任すぎます。
それと第66、67話で藤岡弘が出演していない件ですが当時、問題になった記憶はありません。友達とも「本郷猛が出てなかったよね?」このような話をした記憶もありません。
私は当時、幼稚園の年長組でしたのでこの年齢層では何の問題にもなっていなかった可能性があります。
それと、この第66、67話を私は本放送時に見ていない可能性があります。
理由は仮面ライダー放送開始時(1971年4月)私の住んでいた地域はテレビ局が2チャンネルの地域でした。日本テレビとTBSの系列局があるだけでNET(テレビ朝日)の系列局はありませんでした。当時のテレビ局は17:00、ニュース放送前の18:00時台に子供向け番組の再放送または4チャンネル地域以外では他局系列の子供向け番組放送枠になっていました。その為仮面ライダーは2ヶ月以上遅れて放送が開始されていたと記憶しています。
ところが1972年の7月だったと記憶していますが4チャンネル地域に引っ越しをしています。
つまり夕方に東京から遅れた時期に放送されていた仮面ライダーを見ていたのが土曜19:30に見れるようになったのです。
この関係で問題となった第66、67話は本放送時には見ていない可能性が高いです。
ただ当時は夕方に人気子供向け番組の再放送が非常に多く、小学校低学年の時期に仮面ライダーの再放送も見た記憶があるのですが藤岡弘が出演していないことには気が付いていませんでした。
藤岡弘が出演していないことを知ったのは1980年代半ば以降になります。はっきりと記憶にあるのはレーザーディスクBOXを購入した1990年代以降です。友人から「何故、第66、67話に藤岡弘は出演していなの?」このように言われて確認したのが、この件を認識した最初の出来事です。
ですからこの当時、児童層の間では問題になっていない。もっと言えば気が付いていない。これが現実だと考えます。
>バイク事故に関しては藤岡弘の責任ではないと考えます。
これについてはおっしゃる通りです。
当人に責任がないどころか、殺人的スケジュールの責任であり、ギャラの半額が支払われていたというのも慰謝料代わりとしては安すぎるくらいでしょう。
しかし一般社会的に考えれば、「前回は仕方なかったにしても、長期休み二度目かよ!」と周囲に思われてしまうかもしれませんね。
※(産休+育休)×2の終了後、数か月もしないうちに職場を辞めた女子社員に対して、わたしは同じことを思いました。
>「赤ひげ」のスタッフの対応には問題がありすぎます。
藤岡氏が多く語らない以上、当人の虚偽申告として「掛け持ちは問題ない」と空手形を切っていた可能性もあるため、なんとも言えないところですね。
少なくとも出演契約に掛け持ち不可という文言があったとは思えないため、あとは道義的な問題のみである可能性が高いです。
前述のバイク事故に対する責任という意味合いから、仮面ライダーのスタッフは藤岡に過剰な期待を掛けてしまっていた可能性もありますね。
「藤岡は自分たちが育てた」という意識からすると、スタッフ的には「藤岡に裏切られた」と感じられてしまったのかもしれません。
いずれにしても契約規約なんぞよりも義理と人情を重視するあたり、このエピソードは昭和中期らしいと感じられます。
もっともこれは佐々木氏のライダー禅譲や、降板後のギャラ半額保障など、美談にもつながっているために、一律の非難はできませんが。。。
>この当時、児童層の間では問題になっていない。もっと言えば気が付いていない。これが現実だと考えます。
なるほどですね。
幼稚園であれば覚えていない、あるいは理解していない可能性が高いというのが答えかもしれませんね。
10-12話にしても66-67話にしても、私は「子供だまし」と感じましたが、まんまとスタッフの思惑が通ってしまったと言えるかもしれません。
そういえば先週の「しくじり先生」において、戦隊ヒーローにおける「しくじり」と低視聴率が特集されていましたが、当時リアル視聴世代だった私にとっては何一つ覚えている事ではありませんでした。
当時あれほど好きだったはずなのに、戦隊ヒーローのひとつひとつのエピソードは覚えていないものですね。
もっと言えば、そもそも戦隊ヒーローのエピソードを友達と語り合った記憶はあまりありません。
戦隊ヒーローの「ごっこ遊び」こそしたことがあるのですが、リアル視聴世代は一つ一つのエピソードを記憶していられないのかもしれません。
むしろ大人になってから初視聴した特撮もののエピソードのほうがよく覚えている始末です。
色々あったのに、芸能を続けられたのは、藤岡さんの後見人が、丹波哲郎さんだったからです。
後ほどに、何処かのテレビ番組で、丹波さんが後見人であることが明かされてます。
はじめまして
検索でこの記事にたどり着きました
仮面ライダー対じごく大使 で2号ライダーの出演がなかった事は
当時の東映まんがまつりでも映画と言えば複数ライダー出演!
という売りが確立していなかったからだと思います。
ライダー映画をまとめて配信やDVDで視聴可能な今では
不思議に感じますが、新作以外にもTVのフィルムをブローアップしたものが
公開されており、
ゴーゴー仮面ライダー(13話)
仮面ライダー対ショッカー
仮面ライダー対じごく大使
仮面ライダーV3(2話)
と考えると、複数の主役が登場するのは1回きり、とも考えられるからです