伊藤詩織事件39

伊藤詩織事件39回目です。

このブログがこれだけ長く続いている最大の理由は「ブラックボックス」という素晴らしい出版物があればこそです。

この本を読まれていない方は、ぜひ購入して読みましょう。

この素晴らしい書籍は文藝春秋から絶賛発売されています。

今回も荒唐無稽・・・・

失礼・・・・

伊藤詩織マジック満載でお送りいたします。

カンザスの高校留学からニューヨークの大学に行くまで

31、32、33、34頁(文庫35、36、37、38、39頁)

 カンザスの何もない広い土地は、確かに時に恐ろしかった。この土地のどこかに隠されたら一生誰も見つけてくれない。一生出てこられない。そんな恐ろしさだった。

幸いことに、カンザスの土地に私の血を残すような事件は起こらず、一年が過ぎた。帰る時には、皆と大声で抱き合った。居候という身で、見じ知らずの家庭にまざってそのルールの中で生活することや、車がなければどこにも行けない閉鎖的な土地柄は不自由も多かったが、留学生活は、まったく違う次元の自由を私に与えてれた。

(中略)

日本に戻った私は、母を驚かせた。

「私の娘はどこに行ったの?」

それは、私が出かける前とはまったく違う風貌になっていたからだ。

アメリカで出されていたものをすべて胃袋に収めてきたので、日本を離れた時から十一キロ近く体重が増え、しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。

久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。

この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。

 

ニューヨークで学ぶと決意する

私は、ニューヨークでジャーナリズムを学ぶことを目指した。情報の行き交う、あの街で学びたかった。

だが、アメリカの大学への留学費用は、想像を超えるほど高かった。いくつかの奨学金や学生ローンで学費を得ようと思い、申請書を取り寄せたりしたが、両親の所得が条件に合わなかった。所得が一定以上あったとしても、それぞれ事情や判断があり、必ずしも親の協力を得られるわけではないのに不公平だと思った。しかし、金銭的な理由であきらめたくなかった。

私は、昼夜問わずバイトを掛け持ちした。寝る時間も友達と会う時間もなかったが、何よりも少しずつ貯金ができ、大学に行く夢が近くなっていくのが嬉しくてしょうがなかった。

しかし、お金を貯めるだけの生活は楽しくないので、某テレビ局で報道のアシスタントのバイトも始めた。四年生大学以上と募集要項にあったが、気にせず募集してみたら面接に受かり、憧れの報道局の慌ただしい雰囲気の中で、雑用に追われ走り回った。

休む時間はなかった。でも、楽しさと希望で、疲れるということがなかった。

そんな生活を一年近くしたところで、友達と東南アジアの友達を訪ねる旅を計画した。できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

しかし、忙しくて荷物をパッキングする時間がなかった。出発の前日、仕事から帰宅して、やっと荷造りをしようと洋服をたたみながら、私はつい眠り込んでしまった。

起きた時には、すでに空港での友人との待ち合わせ時間だった。何も荷物を持たず空港に向かったが、飛行機のチェックインには間に合わなかった。友人は、先に行っているからと飛行機に乗り込んだが、離陸直前に、やっぱり不安でたまらないと連絡が来た。

どうしようか、迷った。当日発売のチケットは、寝ないで働き貯めたお金が簡単に飛んでしまう額だったのだ。空港でいろいろ調べるうち、一ヶ月後のリターンチケットで出発する格安の往復チケットを何とか見つけることができ、追いかけるようにして友人の元に発った。

その時、私は初めて自分の置かれた状況を悟った。私は疲労のピークにいて、どう考えても大学進学計画は、金銭面で現実的ではないと思い知らされた。これではニューヨークの大学に行く前に、過労死してしまうと思った。

帰国した私は、まずほぼ学費のかからないいドイツの大学に行くことに決めた。その後、実際にドイツに向けて出発はしたが、だからと言って、アメリカでジャーナリズムを勉強することを諦めたわけではなかった。

今までみたいに、どうにか方法が見つけられるはずだと思っていた。アメリカの大学の学費は、取得する単位数で決まる。そこで、できるだけ学費のかからない別の国の学校で単位を集めて、希望するニューヨークの大学にあらかじめ単位を移行してから入学する、というのが、この時の私の作戦であった。

また、アラビア語の勉強もして、取材ができる範囲を広めたいと思った。当時、ドイツの大学では、英語で学べる授業の範囲には限りがあった、そんな時、スペインの大学で国際関係学を学びながらシリアに留学できる制度があると聞き、スペインの大学にも行ってみた。ちょうどその年にシリアの情勢が悪化し、結局シリアの学校行きは果たせなかったが、単位は順調にたまっていたし、スペイン語も身についた。

当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。私は彼に、ニューヨークに行こうと切り出した。そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり、私も奨学金がもらえる海外の制度に受かった。念願のニューヨークでの勉強が、遠回りをしてやっと叶ったのだった。

伊藤詩織は芸能活動で稼いだお金で留学をしたと書いています

芸能活動で稼げる額は高校生がアルバイトで稼げる額と変わらない金額です

少々引用が長くなってしまいましたが、これも伊藤詩織の素晴らしい文章テクニックに堪能されたがためです。

この部分にも数々の伊藤詩織マジックが溢れています。

32頁(文庫36頁)

 久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。

この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。

この記述があります。これが事実であれば伊藤詩織が芸能活動をして得ていた収入は高校生がアルバイトをして得られる収入と同程度の額になります。2021年現在、東京都の最低時給が985円です。

芸能活動は放課後、週末、祝祭日に限られますので多めに見積もっても週20時間が最大と考えます。

そうなると985円×20時間=19700円

時給を多めに見積もっても1200円×20時間=24000円

週にこの金額です。

この金額で計算します。

年間24000円×52週=1248000円になります。

当然ですが、これに税金がかかります。

これらを考えると年間の手取り額が多めに見積もっても110万円と少しといったところでしょうか。

小学5年生から中学3年生まで、これだけの収入があり、すべてを貯金していたとして550万円になります。

この金額ですので伊藤詩織が一年間の高校留学で芸能活動で貯金した金額を使い切っていたとして特に問題ではありません。

仮にこの金額の半額しかなかったとしたら275万円になります。

この金額で留学は可能なのでしょうか?

何故入院費を芸能活動で稼いだギャラで払っていないのでしょうか?

入院費で両親に迷惑をかけたのであれば芸能活動のギャラで支払っていないことは不可解でしかありません?

27頁(31頁)

 両親に、寮生活のできるイギリスの高校へ行きたいと打ち明けた時は、退院してすぐの私の健康を心配する一方、学費がとても一般家庭のような金額ではなかったため、猛反対された。

私は今まで自分が稼いできたギャラで賄うと言い張ったが、到底足りるものではなかった。また、今まで風邪すら滅多にひかない健康そのものの娘が急に入院したのだから、医療費の負担は大きかった。両親には大変迷惑をかけていた。

しかし、それで聞き入れるような性格の娘ではないことは、両親もよく知っていた。どうにか方法はないか調べたところ、友人が教えてくれた、アメリカの一般家庭がボランティアでホストファミリーをしている留学プログラムに辿り着いた。

遡りますがこの記述があります。入院費が高額になり両親に迷惑をかけたとありますが自分が芸能活動で稼いだギャラで支払いをすれば問題はありません。

何故、このような記述があるのか疑問です。

ところが32頁(文庫36頁)

 この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。

当然ですが、この部分の記述は一般的な日本語の解釈だと不可解としか言いようがありません。

伊藤詩織は自分が稼いだギャラで海外留学をしたと「ブラックボックス 」に書いているのです。

何故、入院費用の支払いに自分が稼いだギャラで支払いをしなかったのか?

この説明がされていません。

しかし、この本の著者は伊藤詩織です。当然ですが誰もが納得できる説明をするでしょう。

これぞ伊藤詩織マジック!

ボランティアでホストファミリーをしてる家庭は存在の可能性さえありません

ホームステイの実態は外国人の下宿です

ついでですのでこの部分にも触れておきましょう。

27頁(31頁)

友人が教えてくれた、アメリカの一般家庭がボランティアでホストファミリーをしている留学プログラムに辿り着いた。

以前のブログにも書きましたがホームステイとは下宿です。

無料で外国人を下宿させてくれる留学プログラムは存在の可能性さえありません。

もし、これが事実であれば、その留学プログラムを公表し、説明する責任が伊藤詩織にはあると考えます。当然ですができるはずです。

これに加えて留学を希望していたのは伊藤詩織です。ところが、この留学プログラムを友人から教えられたと書いています。友人は留学をしていません。そのような記述がないのでそのように判断をしています。そうであれば、留学に特に興味もない友人が何故このようなプログラムを発見できたのか?

これも説明する責任があると考えます。当然ですが、これも伊藤詩織にはできるはずです。

当然ですが、これも伊藤詩織マジックなのでしょう!

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件40へ続く

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