伊藤詩織事件18

伊藤詩織事件の18回目です。

重要なことですので今回も書きますが私は山口敬之とは面識がありません。当然ですが山口敬之を擁護するためにこのようなブログを書いているわけではないということです。

最近はこの「ブラックボックス」を読むのが大変楽しくなってきました。

持っていない方はぜひ購入されることをお勧めいたします。

今回もツッコミどころ満載でお送りいたします。

伊藤詩織には時間もお金もありません

伊藤詩織マジック!

35頁(文庫39頁)

 すべての努力はジャーナリストになるために

刺激的な遠回りだった。この遠回りのおかげで、自分で計画し、実行し、夢を叶える手段を身につけ始めていた。時間さえあればバックパックを背負い、各地へ飛び、写真を撮るようにもなっていた。ニューヨークでは写真も専攻し、ドキュメンタリーも撮り始めた。

そして、学費の問題を解決するため、パートナーを説得してイタリアへ向かったのが、前に書いたように二〇一三年のことだった。

イタリアからニューヨークに戻ったのは、二〇一四年夏だった。しかしその直前、パートナーとは、彼の妹の結婚式に一緒に参加した直後に別れることになった。フィレンツェでの勉強も終え、卒業式を間近に控えた私は、彼と今後の話をするようになった。これからのお互いについて、次第に意見が食い違うようになっていた。

この記述があります。

まず問題を感じたのはこの記述です。

時間さえあればバックパックを背負い、各地へ飛び、写真を撮るようにもなっていた。

伊藤詩織は「ブラックボックス」の34ページで経済的に苦しい状況であるため学費が安く済むドイツの大学に留学したと書いています。要するにお金がないのです。

そのような方が

時間さえあればバックパックを背負い、各地へ飛び、写真を撮るようにもなっていた。

どうすれば、これが可能なのですか?

「ブラックボックス」で伊藤詩織はお金が無く経済的に苦しい様子を何回も書いています。しかし、経済的に厳しい状況になると、どこからともなくお金が溢れ出てきて経済的問題が解決されるという奇妙な現象が必ず起こっています。

こういうのを私は伊藤詩織マジックと呼ぶことにしました!

夢を叶える手段を身につけ始めていた

何故、山口敬之に就職相談をしたのでしょうか?

続いて疑問に感じたのがこの記述です。

 刺激的な遠回りだった。この遠回りのおかげで、自分で計画し、実行し、夢を叶える手段を身につけ始めていた。

特に問題と感じたのが

夢を叶える手段を身につけ始めていた。

これが事実であれば何故、山口敬之に就職の相談をしたのですか?

自力でジャーナリストになればいいだけですし事実、伊藤詩織は自力でジャーナリストになっています。

当然ですが、これも伊藤詩織マジック!

2013年問題

伊藤詩織は2013年に大学を卒業しているはずですが?

続いての問題は下記の記述です。

パートナーを説得してイタリアへ向かったのが、前に書いたように二〇一三年のことだった。

前に書いたのは事実ですが二〇一三年とは書いていません。

事実20頁(文庫24頁)でイタリア、フィレンツェへ行ったことは書いていますが時期を書いていません。

20頁(文庫24頁)

 ほどなくして私は、ニューヨークでそのまま学業を続けるのが厳しい状況になった。バイトは掛け持ちしていたが生活は苦しく、給付される奨学金は、学費は全てカバーできる金額ではなかった。そこに生活費も加わり、学校を卒業する予定の年には貯金もそこをついてしまった。

私の取らなければならないクラスなどを考慮した結果、イタリア、フィレンツェの大学で半年間学べることがわかった。そこでなら、学業を続けながら生活することができそうだった。同棲しているパートナーを説得するのは大変だったが、渋々納得してくれた。

大学を卒業する予定の年にイタリアのフィレンツェの大学へ行ったことになっています。

これを35頁(文庫39頁)で二〇一三年と書いています。

そうであれば大学の卒業も二〇一三年でなくてはなりません。

ところが35頁(文庫39頁)

 イタリアからニューヨークに戻ったのは、二〇一四年夏だった。

この記述が正しければイタリアの大学で三学期、1年半過ごしたことになります。

イタリアの大学の学期は一般的には下記の通りです。

前期9月から1月

後期2月から6月

そこで学費、生活費が比較的安いヨーロッパの大学で、一学期分の単位をとることにした。

よほどイタリアの生活が気に入っていたのでしょう。一学期の予定が、なんと三学期も過ごしています。

フィレンツェにはセリエAのフィオレンティーナというサッカークラブがあります。きっと熱心なサポーターなって学業がおろそかになってしまったのでしょう。

このブログを読まれているサッカーファンは理解してくれると思います。

アメリカには大学の卒業を控えた夏は存在しません

 イタリアからニューヨークに戻ったのは、二〇一四年夏だった。しかしその直前、パートナーとは、彼の妹の結婚式に一緒に参加した直後に別れることになった。フィレンツェでの勉強も終え、卒業式を間近に控えた私は、彼と今後の話をするようになった。

アメリカの大学の卒業時期は5月です。

二〇一四年の夏にニューヨークに戻ってとあります一般的に夏とは7月、8月、9月を指します。

つまりアメリカには大学の卒業式を間近に控えた夏は存在しないのです。

ここまでくれば伊藤詩織マジックとしか言いようがありません!

この記述にはまだ問題があります。

二〇一四年にニューヨークに戻って、さらにこの時点で大学を卒業していないのです。

上記していますがアメリカには卒業式を間近に控えた夏は存在しません。

そうなると伊藤詩織の卒業は二〇一五年五月になります。

辻褄の合わない内容が次々に発生することになります。

問題はこれだけでではありません。伊藤詩織は日本人です。アメリカへ行くことはできても帰ることはできません。永住権を取得しているのであれば話は別ですが?

この時どのような方法でアメリカに入国したのか一切の記載がありません。

この部分の記述で、さらに疑問を感じるのは

彼の妹の結婚式に一緒に参加した直後に別れることになった。

彼の妹の結婚式はニューヨークに戻る前です。

そうであれば、彼の妹の結婚式はどこで行われたのでしょうか?

これが書かれていません。

伊藤詩織はニューヨークに戻る前に彼の妹の結婚式のために彼とニューヨーク以外の場所であっています。しかし、それがどこなのか一切の記述がありません。

伊藤詩織は経済的に苦しい状況にあります。

当然ですがイタリアのフィレンツェ、アメリカのニューヨーク以外の場所に出かけるお経済的余裕はありません。

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件19へ続く

伊藤詩織事件17に戻る

伊藤詩織事件1に戻る

下記リンクで伊藤詩織事件を全て表示できるようにしています。