伊藤詩織事件40

祝!!伊藤詩織事件40回目記念です。

このブログがこれだけ長く続いている最大の理由は「ブラックボックス」という素晴らしい出版物があればこそです。

この本を読まれていない方は、ぜひ購入して読みましょう。

図書館で借りるといったことはやめましょう。

この素晴らしい書籍は文藝春秋から絶賛発売中です。

今回も支離滅裂・・・・

失礼・・・・

伊藤詩織マジック満載でお送りいたします。

カンザスの高校留学からニューヨークの大学に行くまで(再掲載)

31、32、33、34頁(文庫35、36、37、38、39頁)

 カンザスの何もない広い土地は、確かに時に恐ろしかった。この土地のどこかに隠されたら一生誰も見つけてくれない。一生出てこられない。そんな恐ろしさだった。

幸いことに、カンザスの土地に私の血を残すような事件は起こらず、一年が過ぎた。帰る時には、皆と大声で抱き合った。居候という身で、見じ知らずの家庭にまざってそのルールの中で生活することや、車がなければどこにも行けない閉鎖的な土地柄は不自由も多かったが、留学生活は、まったく違う次元の自由を私に与えてれた。

(中略)

日本に戻った私は、母を驚かせた。

「私の娘はどこに行ったの?」

それは、私が出かける前とはまったく違う風貌になっていたからだ。

アメリカで出されていたものをすべて胃袋に収めてきたので、日本を離れた時から十一キロ近く体重が増え、しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。

久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。

この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。

 

ニューヨークで学ぶと決意する

私は、ニューヨークでジャーナリズムを学ぶことを目指した。情報の行き交う、あの街で学びたかった。

だが、アメリカの大学への留学費用は、想像を超えるほど高かった。いくつかの奨学金や学生ローンで学費を得ようと思い、申請書を取り寄せたりしたが、両親の所得が条件に合わなかった。所得が一定以上あったとしても、それぞれ事情や判断があり、必ずしも親の協力を得られるわけではないのに不公平だと思った。しかし、金銭的な理由であきらめたくなかった。

私は、昼夜問わずバイトを掛け持ちした。寝る時間も友達と会う時間もなかったが、何よりも少しずつ貯金ができ、大学に行く夢が近くなっていくのが嬉しくてしょうがなかった。

しかし、お金を貯めるだけの生活は楽しくないので、某テレビ局で報道のアシスタントのバイトも始めた。四年生大学以上と募集要項にあったが、気にせず募集してみたら面接に受かり、憧れの報道局の慌ただしい雰囲気の中で、雑用に追われ走り回った。

休む時間はなかった。でも、楽しさと希望で、疲れるということがなかった。

そんな生活を一年近くしたところで、友達と東南アジアの友達を訪ねる旅を計画した。できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

しかし、忙しくて荷物をパッキングする時間がなかった。出発の前日、仕事から帰宅して、やっと荷造りをしようと洋服をたたみながら、私はつい眠り込んでしまった。

起きた時には、すでに空港での友人との待ち合わせ時間だった。何も荷物を持たず空港に向かったが、飛行機のチェックインには間に合わなかった。友人は、先に行っているからと飛行機に乗り込んだが、離陸直前に、やっぱり不安でたまらないと連絡が来た。

どうしようか、迷った。当日発売のチケットは、寝ないで働き貯めたお金が簡単に飛んでしまう額だったのだ。空港でいろいろ調べるうち、一ヶ月後のリターンチケットで出発する格安の往復チケットを何とか見つけることができ、追いかけるようにして友人の元に発った。

その時、私は初めて自分の置かれた状況を悟った。私は疲労のピークにいて、どう考えても大学進学計画は、金銭面で現実的ではないと思い知らされた。これではニューヨークの大学に行く前に、過労死してしまうと思った。

帰国した私は、まずほぼ学費のかからないいドイツの大学に行くことに決めた。その後、実際にドイツに向けて出発はしたが、だからと言って、アメリカでジャーナリズムを勉強することを諦めたわけではなかった。

今までみたいに、どうにか方法が見つけられるはずだと思っていた。アメリカの大学の学費は、取得する単位数で決まる。そこで、できるだけ学費のかからない別の国の学校で単位を集めて、希望するニューヨークの大学にあらかじめ単位を移行してから入学する、というのが、この時の私の作戦であった。

また、アラビア語の勉強もして、取材ができる範囲を広めたいと思った。当時、ドイツの大学では、英語で学べる授業の範囲には限りがあった、そんな時、スペインの大学で国際関係学を学びながらシリアに留学できる制度があると聞き、スペインの大学にも行ってみた。ちょうどその年にシリアの情勢が悪化し、結局シリアの学校行きは果たせなかったが、単位は順調にたまっていたし、スペイン語も身についた。

当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。私は彼に、ニューヨークに行こうと切り出した。そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり、私も奨学金がもらえる海外の制度に受かった。念願のニューヨークでの勉強が、遠回りをしてやっと叶ったのだった。

伊藤詩織お得意の矛盾した記述

伊藤詩織マジック!

前回に続いてこの部分の引用です。この部分には伊藤詩織ならではの文章テクニックが駆使されてます。伊藤詩織マジックが満載なのです!

それを検証していきましょう。

この部分の記述を読むと伊藤詩織は高校留学から帰国するとニューヨークでジャーナリズムを学ぶため、正確にはその費用を貯めるために昼夜を問わず、寝る間も惜しんでアルバイトをしていると言うことです。

33頁(文庫36、37頁)

 私は、昼夜問わずバイトを掛け持ちした。寝る時間も友達と会う時間もなかったが、何よりも少しずつ貯金ができ、大学に行く夢が近くなっていくのが嬉しくてしょうがなかった。

この記述で証明されます。

それに対して33頁(文庫37頁)

しかし、お金を貯めるだけの生活は楽しくないので

この記述があります。

このような記述を日本語では矛盾と言います。

しかし、この本の著者は伊藤詩織なのです。当然この矛盾にも整合性の取れた見事な説明をしてくれることは間違いないでしょう。

何故テレビ局名を公表しないのでしょうか?

33頁(文庫37頁)

 しかし、お金を貯めるだけの生活は楽しくないので、某テレビ局で報道のアシスタントのバイトも始めた。四年生大学以上と募集要項にあったが、気にせず募集してみたら面接に受かり、憧れの報道局の慌ただしい雰囲気の中で、雑用に追われ走り回った。

この部分で問題なのが何と言っても

四年生大学以上と募集要項にあったが、気にせず募集してみたら面接に受かり、

これです。

伊藤詩織はこの時はまだ10代です。4年生大学以上と募集要項にありながら10代の伊藤詩織を採用しているのです。伊藤詩織が履歴書の生年月日に虚偽の記載をしているのであればともかく、この文章を読む限りでは履歴書に正直に書いたにもかかわらず採用されているのです。

そうであれば、このテレビ局を某テレビ局などど書かずにテレビ局名を公表すればいいだけです。これをすれば非常識なテレビ局の実態を公表することになります。ジャーナリストとしての第一歩が踏み出せる可能性があります。

さらに伊藤詩織は日本テレビのニューヨーク支局、トムソン・ロイター・ジャパンでインターンをしていたとメディア名を公表して書いています。当然ですが、これが事実であれば某テレビ局と書く必要がありません。

東南アジアに住む謎の友人?

伊藤詩織の交友範囲は日本とカンザスだけです

33頁(文庫37頁)

 そんな生活を一年近くしたところで、友達と東南アジアの友達を訪ねる旅を計画した。できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

何故、東南アジアに友達がいるのですか?

伊藤詩織の交際範囲は日本とカンザスだけです。

これも伊藤詩織マジックでしょう!

フロリダに住む謎の友人?

何故フロリダに友達がいるのですか?

32頁(文庫36頁)

しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。

以前のブログ「伊藤詩織事件19」

これでも書きましたが伊藤詩織の交際範囲は日本と留学先のアメリカのカンザス州に限定されます。当然ですが東南アジアに友達がいることは不可解なことです。フロリダの友達もそうですが東南アジアの友達もどのような関係でそのような土地に友達が住んでいるのか書く必要があります。

もしかしたら伊藤詩織には火星にも友達がいるのかもしれません。

もしM78星雲に友達がいるのであれば紹介してもらいたと考えています。

ちなみに鎌倉に行けばウルトラセブンに会えるのは知っています。

何故旅行に行くのでしょうか?

旅行に行けば貯金は減ります

この旅行の部分なのですが伊藤詩織はアメリカ、ニューヨークの大学でジャーナリズムを勉強するために昼夜を問わず、寝る間も惜しんでアルバイトをしているのです。

インターネットで調べたのですがアメリカの大学への留学は費用がかかります。伊藤詩織はニューヨークの大学でジャーナリズムを勉強するために1円でも、1ドルでも多くの貯金をしなければならないのです。

そのような状況で何故旅行行ったのですか?

旅行に行けばその間はアルバイトはできません。

もっと言えば貯金が減ります。

この状況で旅行に行くことは言っていることとやっていることが一致しません。

この旅行に関する不可解さは、これだけではありません。

33頁(文庫頁)

友達と東南アジアの友達を訪ねる旅を計画した。

東南アジアに住んでいる友達に会いに行く旅行です。

ところがその直後に

33頁(文庫37頁)

できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

この記述があります。

東南アジアに住んでいる友達を訪ねる旅行が、何故

できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

このような内容になるのでしょうか?

これも一般的な日本語では矛盾と言います。

これも伊藤詩織マジックなのでしょう!

これに関しても伊藤詩織は見事な説明をして、すべての人を納得させるでしょう。

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件41へ続く

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