伊藤詩織事件・週刊新潮編1

伊藤詩織事件・週刊新潮編です。

この事件は2017年5月18日号の週刊新潮の記事がすべてのはじまりです。

重要なことですので今回も書きますが私は山口敬之とは面識がありません。当然ですが山口敬之を擁護するためにこのようなブログを書いているわけではないということです。

今回は週刊新潮の記事を検証してみたいと思います。

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05180800/?all=1&page=2

週刊新潮

「ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を専攻していた私と山口が出会ったのは2013年秋頃のことです。報道の仕事をしたいと告げると、〝TBSのNY支局にぜひ会わせたい〟と。実際、数日後にその3人でランチをし、支局内を案内するなどしてもらいました」

ブラックボックス18、19、20頁(文庫22、23、24頁)

 二〇一三年九月、私はニューヨークにいた。大学でジャーナリズムと写真を学んでいた。学費の支払いに追われ、生活は常に厳しいものであった。反対を押し切っての渡米だったので、親からの援助はほとんど受けていなかった。

そこで、翻訳、ベビーシッターとピアノバーでのバイトをしていた。バーの方は帰りが深夜になるため、当時一緒に住んでいたパートナーは心配し、頻繁には出勤できなかった。しかし、ベビーシッターに比べれば、こちらの方が時給はずっと高かった。

山口氏とニューヨークで出会う

そこは、ニューヨークを訪れる様々な職種の人たちの話が聴けるし、働いている人にもそれぞれ夢があり、楽しい職場だった。

私が山口敬之氏に初めて会ったのは、その店だった。

お客さんとの会話で、私はいつも「ジャーナリズムの勉強をしている」とオープンに話していた。その日、私がいつものようにそう話すと、飲んでいた一人が山口氏を指さし、

「この人はTBSのワシントン支局長だよ」

と言った。山口氏は気さくに、

「自分もジャーナリストだから、君みたいに夢を持っている人に会うのは嬉しいね」

と言った。私自身、長い間の夢であったジャーナリストと出会え、その場の話は盛り上がった。その時私はすでに、翌年の卒業直前にインターンシップを体験し、ニュースの現場で働きたいと考えていた。先輩から話を聞けることが、とても嬉しかった。

インターンシップとは、大学在籍中の学生などが、企業で体験的に働く制度のことだ。山口氏が名刺をくれ、「機会があったらニューヨーク支局を案内するから、ぜひメールを下さい」と言ってくれた。

その日はそこで話は終わった。

再会の時は意外と早くやってきた。まだ秋が終わらないうちに、ニューヨークを訪れた山口氏から連絡があったのだ。

「TBSのニューヨーク支局長とお昼を食べているんだけど、来ない?」

という誘いだった。学校の授業も丁度終わったところだった。喜んで、と二人のいる日本料理屋に行くと、二人はもう食べ終わるところだった。

私はすぐに出てくるデザートだけオーダーし、自己紹介を済ませた。その後、山口氏自身は用があるということで、TBSのニューヨーク支局まで一緒に行き、支局の人たちに挨拶すると立ち去った。それから私は支局長に内部を案内してもらった。

週刊新潮の記事では

私と山口が出会ったのは2013年秋頃のことです。

ブラックボックス18頁(文庫22頁)

 二〇一三年九月、私はニューヨークにいた。

山口敬之との出会いが「ブラックボックス」には二〇一三年九月と書いています。それに対し「週刊新潮」では2013年秋頃と書いています。ただ、これは特に問題はありません。

週刊新潮とブラックボックスでは明らかに説明が違います

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05180800/?all=1&page=2

週刊新潮

報道の仕事をしたいと告げると、〝TBSのNY支局にぜひ会わせたい〟と。実際、数日後にその3人でランチをし、支局内を案内するなどしてもらいました」

ブラックボックス19頁(文庫23、24頁)

 再会の時は意外と早くやってきた。まだ秋が終わらないうちに、ニューヨークを訪れた山口氏から連絡があったのだ。

「TBSのニューヨーク支局長とお昼を食べているんだけど、来ない?」

という誘いだった。学校の授業も丁度終わったところだった。喜んで、と二人のいる日本料理屋に行くと、二人はもう食べ終わるところだった。

私はすぐに出てくるデザートだけオーダーし、自己紹介を済ませた。その後、山口氏自身は用があるということで、TBSのニューヨーク支局まで一緒に行き、支局の人たちに挨拶すると立ち去った。それから私は支局長に内部を案内してもらった。

「ブラックボックス」の記述では山口敬之は1度ワシントンに戻り、再びニューヨークを訪問した時に伊藤詩織にニューヨーク支局長を紹介しています。

ところが週刊新潮ではそうではありません。初めて会った数日後になっています。

TBSのニューヨーク支局長を紹介する内容が明らかに違います

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05180800/?all=1&page=2

週刊新潮

TBSのNY支局長にぜひ会わせたい”と。

ブラックボックス19頁(文庫23頁)

「TBSのニューヨーク支局長とお昼を食べているんだけど、来ない?」

ニューヨーク支局長に会った時の描写も明らかに違います。

私は週刊新潮とブラックボックスの内容が一字一句同じでなければならいなどという気はありません。大まかな内容が一致していれば問題はないと考えます。

ところが、これでは明らかに内容が違います。

TBS NY支局の案内が週刊新潮では山口敬之、ブラックボックスではNY支局長になっています

週刊新潮

実際、数日後にその3人でランチをし、支局内を案内するなどしてもらいました

ブラックボックス20頁(文庫23、24頁)

その後、山口氏自身は用があるということで、TBSのニューヨーク支局まで一緒に行き、支局の人たちに挨拶すると立ち去った。それから私は支局長に内部を案内してもらった。

読めば理解できると思いますが「週刊新潮」では山口敬之がニューヨーク支局を案内していますが「ブラックボックス」では山口敬之ではなくニューヨーク支局長が案内をしています。

週刊新潮では山口敬之はインターンを取りたいと書かれていますがブラックボックスではこれを否定しています

週刊新潮

山口氏の「ワシントンに来てくれたらインターンでも何でも採りたいな」の言葉が頭を過る。

ブラックボックス38頁(文庫42頁)

 ニューヨークで大学卒業を目前にして、私は本格的にインターンシップの受け入れ先を探し始めた。現地にある働いてみたいと思うメディア関係者にメールを送った。その中に山口氏も入っていた。一年ぶりに連絡をしたが、山口氏は、

TBSはいま、人が足りている。日本テレビはいつも人を募集してるみたいだから、自分の知り合いのニューヨーク支局長に連絡してみたら?」

「週刊新潮」と「ブラックボックス」の記述は明らかに矛盾しています。

さらに週刊新潮の

山口氏の「ワシントンに来てくれたらインターンでも何でも採りたいな」の言葉が頭を過る。

この言葉が事実であれば伊藤詩織はニューヨークでの生活が経済的に苦しくなり帰国する時に山口に敬之に連絡をしてTBSワシントン支局で働けばいいだけです。

重要なことですので、このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「週刊新潮・伊藤詩織事件記事」と「ブラックボックス」を読んで判断をして下さい。

場合によっては

つづく!

伊藤詩織事件・週刊新潮編2へ続く

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