以前「仮面ライダー放送当時の普通とは何か?」を書いた時から書こうと考えていた内容です。
これは「仮面ライダーV3」第4話「V3の26の秘密!?」での有名なシーンです。
イカファイア:仮面ライダーV3の残骸か?
引っぱり出せ。
イカファイア:デストロンの勝利だ。
V3:ハハハハハ
イカファイア:誰だ笑うやつは?
イカファイア:あそこだ。
イカファイア:ライダーV3生きていたのか。
V3:あいにくだったなイカファイア。俺はこの通り生きている。
これは仮面ライダーファンの間では誰でも知っている有名なシーンです。V3を演じているのは大野剣友会の
中屋敷哲也
です。
ちなみに中屋敷哲也はV3からスーパー1(アマゾンは除く)まで主役の仮面ライダーを演じた方です。
このような危険なシーンを演じたにも関わらず「お疲れさん」の一言で終わっていることも皆さんご存知でしょう。
危険手当等のボーナスも一切無かったとのことです。
昼食が赤福の弁当ではなくステーキになったという話もありません。
現在であれば撮影できないといってもいいでしょう?
仮に撮影が可能だったとしてもスーツアクターにはボーナスをはずむ必要があります。
この当時は現在のようなCGも無い時代です。迫力のある映像を撮影するには仮面ライダーは高いところに登るというのが当然の時代だったのです。
このシーンを見ると「現在の仮面ライダーは楽だよな?」申し訳ありませんがこう言わざるを得ません。
ただ、このシーンは当時の感覚でも異常だと私は思うのですが?
このようなシーンが当たり前のように撮影され放送されていたため仮面ライダーは人気番組、シリーズになったといってもいいでしょう。
今回このブログを書くのにあたり改めてDVDを見たのですが
凄い!
この一言につきます。
おおらかな時代、と言ってしまえばそれまでですが、V3は仮面ライダーというよりも特撮全体に及ぼした影響が大きすぎる作品ですね。
「宮内なら〇〇した」とか「中屋敷なら××だった」という俳優とアクターに対する一種の呪いは、結果的には特撮全盛期を作ったと言えるでしょうね。
危険度がエスカレートしていった理由として、監督が流動的だったことを無視できないと思います。
監督同士の競い合いによって、演者に対する無茶がエスカレートしたのではないかと個人的には思います。
コメントありがとうございます。
最近はブログを書く余裕がないので更新が滞っていますがいずれ本格的に書こうと考えています。
良くも悪くも「伊藤詩織事件」が注目されているのですが、これは去年に書いているものを公開しているだけなので更新ができている状態です。
特撮関係のブログに関しては「仮面ライダー」に偏りすぎているなと感じているので、もう少し幅を持たせようと考えています。
今回の52mの煙突に立ったシーンですが第1期仮面ライダーシリーズでスタッフが最もノリに乗っていた時期と言われています。
迫力のある画を撮ろうという理由からこのシーンは実現したといわれています。
この回の脚本家は伊上勝ですが、中屋敷哲也に「52mの煙突に立てるのかな?」と話したそうです。これに対し中屋敷哲也は「できるんじゃないですか」こう返したところ本当にやらされたこのようなエピソードもあります。
どちらにしろこのような危険なアクションをガンガンやっていたことが仮面ライダーを人気作品にしたと言って間違いがないでしょう。
プロデューサーは変わっていないので、監督同士の競い合いに関しては関係はないと考えます。