伊藤詩織事件42

伊藤詩織事件42回目です。

このブログを読まれている方は当然「ブラックボックス」を購入されていると思います。

もしかしたら、このブログの影響で「ブラックボックス」の売れ行きが伸び在庫がなくなっているかもしれません。

文藝春秋は急いで増刷しましょう。部数をケチってはいけません。

確実に完売することは間違いないと考えます。

そうなると伊藤詩織は印税長者になりますね。一生働かなくてもいい金額が入ってくるのではないでしょうか?

今回も支離滅裂・・・・

失礼・・・・・

伊藤詩織マジック満載でお送りいたします。

カンザスの高校留学からニューヨークの大学へ行くまで(再々々掲載)

31、32、33、34頁(文庫35、36、37、38、39頁)

 カンザスの何もない広い土地は、確かに時に恐ろしかった。この土地のどこかに隠されたら一生誰も見つけてくれない。一生出てこられない。そんな恐ろしさだった。

幸いことに、カンザスの土地に私の血を残すような事件は起こらず、一年が過ぎた。帰る時には、皆と大声で抱き合った。居候という身で、見じ知らずの家庭にまざってそのルールの中で生活することや、車がなければどこにも行けない閉鎖的な土地柄は不自由も多かったが、留学生活は、まったく違う次元の自由を私に与えてれた。

(中略)

日本に戻った私は、母を驚かせた。

「私の娘はどこに行ったの?」

それは、私が出かける前とはまったく違う風貌になっていたからだ。

アメリカで出されていたものをすべて胃袋に収めてきたので、日本を離れた時から十一キロ近く体重が増え、しかも帰りにフロリダの友達を訪ねたため、真っ黒に焼けていた。

久しぶりにモデル事務所に挨拶に行くと、驚いたスタッフにダイエットをするように命じられたが、高校生になり、バイトもできるようになっていた私には、以前の芸能の仕事はもう必要なかった。

この仕事をしたおかげで、海外の高校へ留学できたことに、感謝するだけだった。

 

ニューヨークで学ぶと決意する

私は、ニューヨークでジャーナリズムを学ぶことを目指した。情報の行き交う、あの街で学びたかった。

だが、アメリカの大学への留学費用は、想像を超えるほど高かった。いくつかの奨学金や学生ローンで学費を得ようと思い、申請書を取り寄せたりしたが、両親の所得が条件に合わなかった。所得が一定以上あったとしても、それぞれ事情や判断があり、必ずしも親の協力を得られるわけではないのに不公平だと思った。しかし、金銭的な理由であきらめたくなかった。

私は、昼夜問わずバイトを掛け持ちした。寝る時間も友達と会う時間もなかったが、何よりも少しずつ貯金ができ、大学に行く夢が近くなっていくのが嬉しくてしょうがなかった。

しかし、お金を貯めるだけの生活は楽しくないので、某テレビ局で報道のアシスタントのバイトも始めた。四年生大学以上と募集要項にあったが、気にせず募集してみたら面接に受かり、憧れの報道局の慌ただしい雰囲気の中で、雑用に追われ走り回った。

休む時間はなかった。でも、楽しさと希望で、疲れるということがなかった。

そんな生活を一年近くしたところで、友達と東南アジアの友達を訪ねる旅を計画した。できるだけ多くの国を回り、世界を見てみたかったのだ。

しかし、忙しくて荷物をパッキングする時間がなかった。出発の前日、仕事から帰宅して、やっと荷造りをしようと洋服をたたみながら、私はつい眠り込んでしまった。

起きた時には、すでに空港での友人との待ち合わせ時間だった。何も荷物を持たず空港に向かったが、飛行機のチェックインには間に合わなかった。友人は、先に行っているからと飛行機に乗り込んだが、離陸直前に、やっぱり不安でたまらないと連絡が来た。

どうしようか、迷った。当日発売のチケットは、寝ないで働き貯めたお金が簡単に飛んでしまう額だったのだ。空港でいろいろ調べるうち、一ヶ月後のリターンチケットで出発する格安の往復チケットを何とか見つけることができ、追いかけるようにして友人の元に発った。

その時、私は初めて自分の置かれた状況を悟った。私は疲労のピークにいて、どう考えても大学進学計画は、金銭面で現実的ではないと思い知らされた。これではニューヨークの大学に行く前に、過労死してしまうと思った。

帰国した私は、まずほぼ学費のかからないいドイツの大学に行くことに決めた。その後、実際にドイツに向けて出発はしたが、だからと言って、アメリカでジャーナリズムを勉強することを諦めたわけではなかった。

今までみたいに、どうにか方法が見つけられるはずだと思っていた。アメリカの大学の学費は、取得する単位数で決まる。そこで、できるだけ学費のかからない別の国の学校で単位を集めて、希望するニューヨークの大学にあらかじめ単位を移行してから入学する、というのが、この時の私の作戦であった。

また、アラビア語の勉強もして、取材ができる範囲を広めたいと思った。当時、ドイツの大学では、英語で学べる授業の範囲には限りがあった、そんな時、スペインの大学で国際関係学を学びながらシリアに留学できる制度があると聞き、スペインの大学にも行ってみた。ちょうどその年にシリアの情勢が悪化し、結局シリアの学校行きは果たせなかったが、単位は順調にたまっていたし、スペイン語も身についた。

当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。私は彼に、ニューヨークに行こうと切り出した。そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり、私も奨学金がもらえる海外の制度に受かった。念願のニューヨークでの勉強が、遠回りをしてやっと叶ったのだった。

この部分の記述は非常に重要なので繰り返し掲載しています

いつどこでパートナーと知り合ったのでしょうか?

再度書きますが、この部分の記述は非常に重要なので繰り返し掲載しているのです。

この部分には伊藤詩織マジックが炸裂しまくっています!

このブログを読まれている方は伊藤詩織マジックの破壊力の凄さを感じていることでしょう!

35頁(文庫38、39頁)

 当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。私は彼に、ニューヨークに行こうと切り出した。そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり、私も奨学金がもらえる海外の制度に受かった。念願のニューヨークでの勉強が、遠回りをしてやっと叶ったのだった。

伊藤詩織はアメリカ留学から帰国後の生活は下記の状態です。

33頁(文庫36頁)

私は、昼夜問わずバイトを掛け持ちした。寝る時間も友達と会う時間もなかったが、

当然ですが日本帰国時にパートナーと知り合う可能性はありません。

知り合ったとすればドイツかスペインに留学している時になります。ところが、このパートナーがどこの誰なのか一切の情報がありません。日本人なのか外国人なのかすら判明しておりません。

私はミステリアス・パートナーと呼んでいます。

このパートナーが存在することを証明する記述は「ブラックボックス」には書かれていません。

だからミステリアス・パートナーになるのですが・・・・

このパートナーとどこで知り合ったのか?

国籍はどこなのか?

最低限でも、これを書かなければならないと考えます。理由はこの本で山口敬之を断罪しているからです。

ところが伊藤詩織は自身のことになると、まったくと言っていいほど経歴を書いていません。アメリカ、カンザスの高校がそうです。カンザスのなんという土地なのか学校名は、どちらも書いていません。ドイツとスペインの大学これも、どこの土地なのか、学校名は、これも書いていません。

しこいようですが、いつどこでパートナーと知り合ったのでしょうか?

35頁(文庫38頁)

 当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と

このように書いていますが日本国内でも東京と大阪では遠距離恋愛です。

さらに言えば伊藤詩織の学業の最終目的はニューヨークの大学でジャーナリズムを勉強して卒業することです。この目標を達成するにはドイツ、スペインどちらの大学も後にしてニューヨークの大学へ行くのです。そのような目標がある状態で遠距離でパートナーと付き合うことは考えられません。ドイツ、スペイン滞在中に恋人がいても不思議ではありませんが、遠距離でパートナーと付き合うという状況はあり得ません。

このミステリアス・パートナーと知り合ったのはドイツ、スペインの滞在中で問題がないと考えます。そうであれば国籍はドイツ、スペインになるのではないでしょうか?

どちらにしろ伊藤詩織の学業の最終目的はニューヨークの大学でジャーナリズムを勉強して卒業することです。

最終的には別れることになるパートナーと遠距離で付き合うことは不自然でなりません。

パートナーの素性を一切明かしていません

35頁(文庫38、39頁)

 当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。私は彼に、ニューヨークに行こうと切り出した。そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり、私も奨学金がもらえる海外の制度に受かった。念願のニューヨークでの勉強が、遠回りをしてやっと叶ったのだった。

再度、この記述を掲載しますが、伊藤詩織がニューヨークの大学は行くことが決まった時、パートナーもニューヨークで仕事を始めます。この時、パートナーはどのような状況にあったのでしょうか?

学生だったのか?

社会人だったのか?

謎は深まるばかりです。

 当時遠距離で付き合っていたパートナーの彼と、一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。

何回も書きますがパートナーには当然、その方の置かれた事情があります。それを無視して

一緒に住んでお互いに仕事や勉強を続けられる生活を考え始めた。

アメリカ国内で知り合ったのであればともかくドイツ、スペインで知り合ったパートナーとこのような生活を考えていたとしたら、あり得ないとしか言いようがありません。

現在、伊藤詩織と山口敬之は民事裁判を争っているようですが(現在は控訴審の判決待ち)、山口敬之側はこのパートナーの名前、国籍を質問してみてはどうでしょう?

さらに連絡の取れるメールアドレスを教えてもらい、このパートナーと連絡を取って会ってくればいいのではないでしょうか?

伊藤詩織は「ブラックボックス」でパートナーがいたと書いているのですから、山口敬之側から聞かれたら答える責任があります。

そこで彼は、ニューヨークでの仕事のポジションに受かり

これにより伊藤詩織はパートナーとニューヨークで同棲生活を始めているのです。

これに対し36頁(文庫39頁)

 世界各地に二年ごとに転勤する仕事をしていた彼は私に、自分に付いてきてほしい、家庭に入って開いた時間にヨガでも教えればいい、と言った。

この記述があります。

ニューヨークでの仕事が決まり伊藤詩織と同棲生活を始めたパートナーが何故、二年ごとに世界各地を転勤するのでしょうか?

しかも世界各地とあります。

悪の秘密結社の大幹部でもやっているのでしょうか?

このような記述ではとても整合性が取れた説明にはなっていません。

しかし、なんと言ってもこの本の著者は伊藤詩織です。誰もが納得する説明をするでしょう。

これぞ伊藤詩織マジック!

伊藤詩織はヨガの修業に行く期間が存在しません

36頁(文庫39、40頁)

 ヨガはインドに修行に行ったほど好きであったが、私の夢を知っていた彼が、このようなことを言うのは半分冗談だと思いたかった。そして、それだけは受け入れるわけにはいかなかった。

伊藤詩織がアメリカ、カンザス州で1年間の高校留学を終えからニューヨークの大学へ行くまでの経緯は31、32、33、34頁(文庫35、36、37、38、39頁)に書いてあります。

いつインドへヨガの修行に行ったのですか?

そのようなことは一切書かれていませんし、そのような時間もお金もありません。

もしかしたらダイバ・ダッダの元で修行をしていたのでしょうか?

そうであればレインボーマンに変身する能力を身につけているのかもせん?

これぞ伊藤詩織マジック!

いつ仕事をしていたのでしょうか?

この時の職業はなんでしょうか?

131、132頁(文庫124頁)

 私はその頃、少しずつ仕事を再開することができるようになり、ドイツで仕事をする機会を得た。

この記述にも同じことが言えます。

再度書きますが、伊藤詩織がアメリカ、カンザス州で1年間の高校留学を終えからニューヨークの大学へ行くまでの経緯は31、32、33、34頁(文庫35、36、37、38、39頁)に書いてあります。

それではいつの時期にどこで、どのような仕事をしていたのしょうか?

仕事をする期間が存在しません。

これこそ伊藤詩織マジック!

このブログを読まれた方は私の意見を鵜呑みにしないでご自身で「ブラックボックス」を読んで判断をしてください。

まだまだネタはありますよ!

当然ですが

つづく!

伊藤詩織事件43へ続く

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